suinote

ゆるめの日常

今週の花

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1〜2週間に1回のペースで買うようになってきた。今回はヒマワリ。

淡かったり妖艶な色味が好きだった自分としてはヒマワリを選んだことにビックリなんだけど、どうしてもヒマワリが気になった。一旦店から離れたのにわざわざ買いに戻ったくらいである。

最近ちょっと繊細な気分だったからか、こうパキっとしたコントラストで、青空、太陽、力強さ、麦わら帽子、無邪気で楽しそうな子供などをイメージさせてくれる、明るい印象に惹かれたのだと思う。

平たい円のようなかんじで花びらが広がっている点は前回買ったガーベラも同じなんだけど、ガーベラが上を向いていたのに対してヒマワリは正面を向いていて、帰ってきた時に、こっちに向かって明るく「おかえり〜」と言ってくれているようなかんじで、なんだか可愛げがある。

自分の部屋にハッキリとした黄色があるのが新鮮なのと不思議な感じがして、ついついじーっと見てしまう。

いやー、花いいなぁ…急にハマってしまうとは…

10年以上先の世界

最近、少しだけど、おそらく10歳は上、もっと上だと自分の母親世代くらいの方のブログを読むことがある。元々はほぼ20代の人のブログしか読んでいなかった。そこに特に拘りはなく、なんとなくそうなっていた。

自分もなんとなく好きなようにブログを書いたり何か載せていると(はてなブログだったり別の場所だったり)、リアクションをくれる人のなかに、リアルの知人友人にはいないくらい上の年代らしき方がたまにいる。私もその方々のブログを読んでみると、自分のブログの何に共感してくれたかはなんとなくわかる。大きな差だと親子くらい離れていて、なかなか関わる機会がない関係だから、こうやってネットで共有できる感覚があることが不思議でおもしろい。

自分で言うのもアレすぎるんだけど、昔から繊細すぎる面があって、すぐに全てが嫌になって人生楽しいなんて思えなくて生きづらかったから、よく死にたいと思っていた。でも本当に死ぬに至る動機はないから、仕方なくどうにかそのまま生きていた。そのまま生きているとどんどん辛くなっていった。このままじゃ、死ねない私は寿命まで死にたいと思いながら生き続けることになると気づいて、そこから少しずつなんとかし始めた。おかげで現在は、死にたい人生からは解放されていて、20歳の自分からは想像もできない生活をしていると思う。一人暮らしをしていることですら奇跡ってレベル。その変化がなかったら、30歳にもなっていない今の時点で、もしかしたら全てを諦めて引きこもって死を待っていたかもしれない。

そんなふうに、20代にして人生諦めてた可能性が大いにあって全く未来に希望を持っていなかったことやその恐怖を今でも忘れずに生きているから、もっとずっと上の世代の方が、今からでも遅くないと何かを変えようとしている日々や見聞きした良いことを綴っているところが本当に素敵で、かっこよくて羨ましくて、美しく見える。

ここ数日ですごく感動した記事や好きなブログがあるのだけど、今自分が抱えている、克服していない不安や恐怖のようなものを悟られてしまうのがまだ怖い、という弱さから、まだご紹介する自信がない。のが申し訳ないながらも、ひっそりと、あなたの文章が大好きです、応援してます、という気持ちでリアクションを残している。


ひとつだけ、もともと自分が書いたものがあった以上、今更隠れることもないなぁと思っているのでこちらを。

hydrangea.hatenablog.jp なんというか、母親目線の正直な気持ちを覗いてしまったのが、すごくドキドキした。もしかしたら、若い時に都会に憧れていた母親も、私に対してこういうことを思っていたかもしれない。そして、自分が今、好きなことを好きなだけやったり、言いたいことを正直に言える人間にならないと、母親になったときに同じ悔しさに耐えられなくなってしまうんじゃないかと、そういうことを教えてくれた。


長い月日とともに、変わることや挑戦することを徐々に拒むようになってしまう人は多いと思うから、やっぱり何かを変えようと歩いている人たちが本当に素敵で励みになるし、私が10年20年先も生きていたら、今私が好きな文章を書いている人に恥じないような生き方をしていたい。

なんだかめちゃくちゃ感傷的な雰囲気になってしまったけど元気です。洗濯物でも畳んで落ち着いてきます(面倒すぎて実家が恋しい)

『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)』を読んで

広告制作会社でデザイナーをしていた汐街コナさんの、『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)』という本を読んだ。精神科医のゆうきゆうさんが監修をされています。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

タイトルが強烈だった。つらくてつらくて、辞めたいのに、でも辞められないって人たくさんいると思うし、自分もそういう時期があった。辞められない大きな理由って不安とか責任感からきているけれど、そのまま続けていると冗談抜きに死んでもおかしくない、ということと、辞める決心をつけるためのアドバイスなどが、実体験を通して漫画で表現されており、わかりやすく、背中を押してくれる内容だった。

仕事が原因で死んでしまう理由は、長時間労働による過労死だけではない。精神的苦痛に耐え切れず自ら死を選んでしまうパターンもある。汐街さんは当時、電車に飛び込もうとしてしまったことがあるらしい。「死ぬくらいなら辞めればいいじゃん」と言われそうだけど、あまりにも追い詰められると、正常な判断すらできなくなってしまうようだ。だから、正常な判断力があるうちに決められるように、後戻りできなくなる前に逃げられるように、他の選択肢があることを覚えていてほしい、という思いがすごく伝わる。シンプルな絵柄の漫画なのに、プロローグでわかる事態の重さが、フィクションストーリーの主人公を見ているようだった。それくらい、切実な思いで描いたのがわかる。それくらい大変なことが、現実で起こっているのだ。

自分の場合はというと、死のう、と実行しようとしたことはないんだけど、「この会社にあと数年いたら死ぬだろうな」と感じていたことがあった。過労よりも、精神的な面から。そんなことが浮かぶ時点でその会社にいるべきではないんですけどね、と今ならサラっと思えるけど。今でもその時期のことはあまり思い出したくないし、当時の上司に体格や雰囲気が少しでも似ている人を見かけると驚いてちょっと身構えてしまう。

当時は今よりもずっとずっと視野が狭くて、私が弱いだけだからダメなんだと思っていて、「ここはあかんわ、よし辞めよう」という選択肢が浮かばなかった。普通に考えて、女性が数ヶ月でポンポン辞めていくような職場で「弱い私がダメなんだ、頑張らないと、耐えないと」なんて思ってた自分も異常だと思うけど。視野が狭いとこういうことに蝕まれていることすら気づけなくて、怖いなぁと思う。結局、辞められたのは運良く辞めやすいタイミングが訪れたからで、それがなければちゃんと辞める判断ができたかはわからない。でも今なら、そういう状況になってしまったら辞めるっていう判断はできる。それは経験や人付き合いからの学びもあるし、この本を読んで更にそれが強くなった、というのもある。

だから、仕事で追い詰められて悩んでいる人や、タイトルでなんだか気になるって人は、読んでみるといいんじゃないかな、と思う。

ただ、別の道(大半の人は転職を選ぶと思う)を選んでも、同じことを繰り返してしまう可能性はある。それは避けたいので、日ごろから仕事や人間関係などでどういう考え方や世界があるのか、同じ目に遭わないように自分自身で変えられる心がけ(つらいあなたが悪いといいたいのではなく、悪い目に遭いやすい思考の癖など)はないか、など、悩みに合わせた情報収集はやったほうがいいと思う。私は仕事以前に学校とかの集団生活の時点から悩んでいることがあって、ここ数年でそれ関係の記事や本を読むようになったんだけど、実際にいろいろ自分の言動を見直していって、10年前なんかに比べたらだいぶ過ごしやすくなった。何かが良くなる・良くなった心がけについては引き続きブログでも書いていきたいし、本についてもまたちょこちょこ紹介していけたら、と思う。


著者の汐街さんは現在イラストのお仕事をされているようで、それについては本の内容では見えないのだけど、イラストをネットで見て、あんなに綺麗な絵が描けて、グラフィックデザイナーでかなりの長時間労働をしていたとか、どういうふうに習得してきたのだろうという感想もある…すごすぎる…