suinote

ゆるめの日常

選択

自分を不幸にしかしない、どうしようもない環境(会社に限らず人間関係色々ひっくるめて)に所属しているとして、さて自分はどうしたら?と思ったら、選択肢は以下の三つになる。

  • その環境から離れる(リスクが高い場合もあるが、状況を良くする可能性が見出せる)
  • 自分が改革する(立場的に下であればあるほど難しいし、自分を不幸に追い込むような場所で改革がんばろうと思えることは稀だと思う)
  • そのまま我慢し続ける(これからもひたすらつらいだけ)

昔は我慢し続けるしかなかったけど、今はその環境から離れるという選択ができるようになった。選択肢を天秤にかけて、どれが自分にとって一番良いか、一番マシかを考えられるようになった。「そのまま我慢し続けるくらいなら死んだ方が本当にマシだ」と思うようになったので、だったら、死ぬよりはいいかもしれないな、と。たぶん、そこまで追い詰められないと中途半端に迷って、今でも我慢し続けるままの人間だったかもしれない。

生きていると、気づかないうちにいくつもの選択肢が表れる。そこから離れる、自分が改革するというのも選択。次の一手を先送りにすればするほどただひたすら辛い状況を我慢することになる。それも、どうするかの判断を先送りにするという選択か、そのまま我慢し続けるという選択になる。

放置したり応急処置で済ませているだけでは状況は変わらない。選ぶための基準を作ってみるとか、自分でまず何か考えようとしない限り次の行動に繋げるのは難しい。と思う。

2017年の振り返り

今年の振り返り。

今年の抱負…

2017年は「なるべく元気でいる」という抱負だった。なにそのフワフワな抱負、というかんじだけど、一応ここに書いている。

suito.hatenablog.com

このタイミングで改めて読んで、この時点の自分そんなかんじだったんだ、だいぶ繊細だったんだな…と驚いた。めんどくさい雰囲気が漂ってる。

これを書いたことを実はもう完全に忘れていて、今あまりこういうことに気を遣わず過ごしているんだけど、だいぶ元気でいる。色々なことが起こり変化があり、そんなこと気にしていられなくなったのだろう、良い意味で。良いことばかりではなかったけど、そのぶん少しタフになったというか。

今年のハイライト

怪我と手術

今年、足を怪我して生まれて初めて手術した。そして初めての松葉杖生活。痛いし、生活は不便だし、電車は疲れるし、タクシー代も嵩むし、だいぶ消耗した。これきりにしたい。でもお世話になっていた病院がすごく親切にしてくれたのと、親や彼に助けてもらえたのは大きな心の支えになった。あと見知らぬ人が階段の上り下りで松葉杖持ちましょうかと声をかけてくれたり。しんどかったけど、人の暖かさを感じることも増えた。

松葉杖、特に完全に足をつくことができないとほんとにきついし危ないので、そういう人を見かけたらぜひ席を譲ったり階段の上り下り手伝うなど協力したり、急かさないとか周りに配慮してほしい。私もします。

一応もう病院通いは終わったけど、一度手術をすると100%の回復は望めないもので、未だに違和感はあるし痛いときもある。みなさまどうか暗い場所での階段にお気をつけください。スマホをいじっていなくても転ぶ時は転びます。

退職した

9月に約一年半勤務したWeb制作会社を退職した。ちょっといきなりではあったけど、会社も変化のタイミングを迎えていて、お互いにとってそれが良いと思ったので。

転職先を決めずに退職なんて前回の転職活動中は絶対考えられなかった。もともと心配性で引っ込み思案だったのとか視野が狭かったのとかで不安も大きく、なんとかなるだろうとは全く思えなくて。でも今回、今どう決断をすることが一番大事かと考えたら自然とそうなった。決断できたのも、人や社会との関わりが広がったり、少しだけ自分を信じられるようになってきたからだと思う。

絵でちょっとだけ仕事

本当に微量で、稼げているとは言えないものの、少しずつ絵の依頼や相談がもらえるようになった。それまで(10代のころにゲーム友達に頼まれて描いてたとかの遊び程度以外では)絵の仕事はもちろん、個人で知人以外からの依頼というのも未経験で、恐る恐るだったのだけど、何度かして慣れてきたり喜んでもらえるとやっぱり嬉しいものだなと思った。

ネットで人目に触れる機会がすこしだけ増えた

無名の人間なのであまり大きな声で言えるようなことじゃないけど、退職してから一時的な休息も兼ねて、SNSに絵をアップしたり文章書いたりを結構頻繁にやってた。たまに公式アカウントや自分より何倍もフォロワーの多い方がシェアしてくださったりして、自分も各SNSで少しだけフォロワーが増えた。地味でも何か続けていると自分の存在を知ってもらえる機会も増えるんだな、と実感した。当たり前か。

というかその前からそれはほんの少しあって、そのおかげで良いことが増えてきているので、本当にありがたい話。絵や文章は自分にとって息抜きや癒しなので、お金が発生しなくとも(無償のお仕事を受けるかはまた別の話)きっと好きなように、細々とでも一生続けると思う。

次の仕事

書くか迷っていたけど、この日記に違和感を残さないために書くことにする。一月から都内のデザイン会社のWebチーム(正確には違うんだけど)に参加させていただくことになった。書きづらかったのは、長期前提の正社員ではないので「転職決まったぜ」というかんじではないし、諸事情でごにょごにょ

条件や安定感を思うと他にも選択肢と可能性があったけど、学生じゃなくなってから今までやってきた地味な人生の中で一番大きな出来事で、逃したら一生後悔すると思ったので決めました。生きます。

イベント参加や会社訪問

コミュ障だから怖いとか言ってないで、今年も何件か他社の方々が集まるイベントに行ったり、お話を聞くために会社訪問などをした。最近は「もう後がないし一人閉じこもってる場合じゃない!!面接じゃないし怒られるわけじゃないし死ぬわけじゃないし」(←本当にこんなかんじ)の勢いでYESと言えるようになった。色々考えすぎて決断できなくなってしまうのが自分の悪いところだったので、興味があったら先にYESといって、そのあとになんとかしよう、というかんじになった。今まで、素敵だなと尊敬していた人は、そういう勢いがあったと思う。その感覚がやっと自分もわかったのかもしれない。

転職活動するにあたってとある会社のランチ会にお邪魔させていただいた。お話を聞くため。緊張しすぎな自分が一人お邪魔しても何も心配なかったなと思うくらい楽しめて、趣味の話もできたり、仕事や技術の話も前向きにできて話が弾んで、とても素敵な環境とチームだった。本当に悩んで(まだ応募はしてなかったけど)、最終的に違う会社への参加を決めたのだけど、厚かましいかなと思いつつお話できて嬉しかったことや決めたことなどを改めて連絡したら快く返信いただいて、本当にありがたいし嬉しかった。転職に関係なくても、機会があればまた色々お話したいです。

人に恵まれた

今年、SNSはもちろん、実際に人に直接悩みや困ったことを打ち明けることが増えた。何も言わなければ「あいつは大丈夫だ」と思われるかもしれなくて、でも私は一人では何もできないなというのを本当に自覚して、もう意地を張らないことにした。そうすると、聞いたので当たり前だけどアドバイスや情報をもらえたりするようになったり、自分では気づかないことに気づけたりした。あと、そういうオープンなかんじでいると、気軽に声をかけやすくなるのか、相談とかに限らず少しコミュニケーションが広がった実感がある。

自分が得意なことや力になれることは人のためにやりたいし、逆に自分が苦手なことは素直に謙虚な姿勢で相談していこうと思った。どちらかというと今は助けてもらっていることのほうが多いので、自分ももっと人に貢献できるようになりたい。よかったことは知見としてネットでなら共有しやすいし、お世話になっている人には良い報告ができるようになることでも恩返しになればいいな。

2017年まとめ

今年は、一言にすると、変化と勢いと人!だった。環境や自分の変化、行動、人へのありがたみが大きくなったことなど。他人からみたら何も大きなことはできてないんだけど、自分のなかでは前に進むきっかけの年になったと思う。下ごしらえ的なかんじだろうか…。どういう形になるかはわからないけど、それらがあったうえでどうなったかを表していくのが、これからだと思う。

久しぶりにちょっと長めに書いた。ただの雑多なブログを読んでくれてありがとうございます。来年もよろしくお願いします。

先の準備をしすぎない

十代の頃からずっと、まだ起こるかどうかすらわからないことに対して過剰なまでに不安を抱きやすかった。「こうなったらどうしよう」と延々と考えていたり、PCを触るようになってからは延々と調べがちだった。それでも、起こる・そうなる可能性は高くもなんともないので着地点は見えないし、不安が消えることはまずない。目の前に別の確実な課題があるにもかかわらず、もっと先のよくわからない不安への意識のほうが強かった。

そんなふうに時間を使って、結局その時間が有益になることなんてほとんどなかった。たいてい、そんな漠然とした考え事や調べ物は有意義ではなく、少々知識が増えたとしても消費した時間に見合っていないことが多い。そんな心配事に時間を使いすぎなくても、実際に出来事が起こったときは嫌でも実行するし、そのときは確かに大変だけど、そのときにやったほうが実体験として短期間で身につきやすい。

もちろん、先を考えた準備しておくことは大事なことではある。でも、課題が発生した時と同じレベルで備えようとすると、いろんな出来事に対してあれもこれもとなりすぎて、結局目の前の一番大事な課題がおろそかになる。まず大事な課題をクリアしないことには、その先の課題すら見えない。だから、「このあとはこんなことが起こる可能性がある」とわかったら、あくまでそれは可能性の一つとして捉えておいて、その時は少し知識を得てみる、程度の範囲内にとどめておくようにしたい。その段階でそれ以上踏み込んだところで、何かが進むわけではない。

未確定な不安に対しての備えはほどほどにしておき、まず目の前に確実な課題に目を向ける。その先があるのかないのか、何が起こるのか、その時にならないとわからないから。