suinote

ゆるめの日常

やり場のないポエム

数行程度のちょっとした考え事をある場所に書き溜めている。考えたことをずっと頭の中にとどめておくのは結構大変。一旦別の場所に移さないと、新しいことを受け入れたり考えたりする余裕が生まれない。

そんなわけでひたすらテキストが溜まっていく。あとで読み返すと客観的にエッセイ集に触れているかんじがして意外と楽しいし、自分の成長や逆に変われないで苦戦している部分などに気づける。

これはただただ自分で面白いのでたぶんこれからもやっていくけど、何か他に活用できる方法はないかなぁなんて思う。内容を整理してブログに書くことはよくあるのでそれでいいのかもしれないけど、数行程度の、綺麗に加工しない生の言葉を外に流していったらどうなるんだろうとも思う。でも最近Twitterでちょっとやりがちな気がする。ブログ的なものはすでにいくつかあるし、単純に増やすのもなんだか新鮮味がないので。むしろこのブログをそういう、もっと気軽なものにするかんじでいいのかもしれない。どうだろう。別にお金を得るためにやっているブログじゃないのだから、その時の「やりたい」に合わせて変化していくものにしていいはずなんだけど、安定感のなさが気になりそうだとか、あれこれモヤモヤしてしまう。

不安と一緒に

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不安を敵だと思わずに、受け入れられるようになってきた。私はヘタレだから不安になって、不安だから前に進んだり決断したりできないのだと少し前まで思っていたのだけど、ちょっと違うと気付いた。

ブログやTwitter、インタビューなど、今はインターネットのおかげで色々な人の考えを気軽に知ることができる。成功している人や素敵だと感じる人、思い切った選択をした人などの記事や発言を見ていると、不安だったとか、不安もあるけど、といった内容が目に入る。独立や企業、そういうわけじゃないけど一旦会社を辞めるとか、なんでも自信と勢いだけで選択できるわけじゃなくて、不安はつきものなんだなと。

そういうことを知ると、不安という感覚は私がダメな人間だからとかそういうわけじゃなくて、何か未知のことに触れようとしたときに自然に表れる副作用のようなものなんだろうなと感じるようになった。だから不安を感じた時、必要以上に凹まないで「不安なのは当たり前で仕方ないものだ、それを受け入れながらやればいい」と思って、ほんの少し落ち着いて動けるようになった。

もちろん、慣れと共に不安は薄れていくので、程度は経験値によって変わると思う。私は仕事やそれ以外の行動面というか、人生出遅れすぎという自覚はあるので、周りよりも物事に対して不安が大きく躊躇することは多いと思う。それでも、やってみようと選択することは確実に増えているので、少しは前に進んでいるということは自分でわかる。一応。

先月、今までだったらパスしたり不安すぎてものすごく決断に時間のかかりそうなことを4件ほど、わりとサクッと決めて動くことができた。そもそも恐ろしい用事じゃないと知っていたし、当然何も問題なく済んで、動いてみてよかった。こういうことを繰り返して小さな不安は薄れていって、鍛えられていって、少しずつハードルを上げて大きなことに向き合えるようになる気がする。

というか今年、すでに大きな不安を抱えているけど、それなりの対処をしたうえでも消えない不安はどうしようもないと諦めがつくし、進もうとしていることでもあるし、不安を敵視しないでいけたらいいな、と思っている。悪者ではなく、つきあっていくべき自分だから。

マンションと猫

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かなり前のことなんだけど、仕事帰りにマンションのエントランス前に来たところで、中に猫がいることに気づいた。「私のスペースよ」というかんじでピタッと止まっていらっしゃったのでどうしようと少しの間その場に立ち尽くして猫を見つめていたら、察してくれたのか外に出てきてくれた。なんとなく意思疎通できた気がしてちょっと嬉しかったのと、絶対に伝わらないけどなぜか会釈してしまった。猫に会釈することってなかなかないと思う。