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ゆるめの日常

はてなブログのテーマ「soboku」を公開しました

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はてなブログのテーマ「soboku」を公開しました。私のこのブログのデザインをもう少し汎用的に調整したものです。

soboku - テーマ ストア

テーマについて

sobokuは、日記や考え事を素朴に綴りたい人のためのブログテーマです。

要素をなるべく最低限に抑えつつ、わかりやすさを保つよう整えています。シンプルだけど無骨じゃないバランスに。

行間や要素の間隔にゆとりを持たせ、本文は真っ黒ではなく気持ちグレー寄り色で背景とのコントラストを弱め、長い文章でも読みやすい、さりげなく柔らかい印象になることを考えました。

何気ない日常を心地よく綴ってもらえたら、と思います。

レスポンシブ対応してます

PC、タブレットスマートフォン用にそれぞれデザインを調整しています。タブレット以下のサイズでは1カラムになります。

デフォルト設定の状態(はてなブログを始めたばかりの方も)ですと、本テーマをインストールしてもスマホでは反映されません。スマホでも本テーマを使用する際は、以下の手順で設定してください。

設定手順

  • はてなブログの設定画面を開く
  • サイドバーの「デザイン」をクリック
  • サイドバー上部のスマホアイコンをクリックし、下部の詳細設定を選ぶ
  • 「レスポンシブデザイン」にチェックを入れる
  • サイドバー上部の「変更を保存する」をクリック

これで、スマホでブログを閲覧する際も本テーマが反映された状態になります。

現状とこれからのこととか

作成したテーマを初めてひっそりとストアに登録してみて、すでに使ってくださっている方がいらっしゃって嬉しいです。ありがとうございます。実際に他の方のブログを見てみると、同じテーマでもそれぞれの書き方でだいぶ印象が変わるのだなと思いました。

一応、作成中テストブログではすべての記法で記事を作成して表示確認はしていたのですが、それでも他の方のブログを見て「あれ、ここちょっとおかしいな」と気づくことがあり…そのあたりは隙を見て随時調整・アップデートしていきます。

気が向いたら使ってくださると私が喜びます。よろしくお願いします。

おまけ・そもそもなんでテーマを作ったのか

いま(2018/03/25時点)このブログで使用しているデザインが、sobokuの元になっているもので、もともとは自分用に作ったものでした。でもベーシックな見た目だから使いやすいはずだし、せっかくだから人に使ってもらえるものにしようと、少し手を入れてからストアに登録しました。

私は、ブログとか、人となりがわかるものが好きです。他人の飾らない素直な気持ちを知ることができたり、人とつながったり楽しみを生むきっかけにもなりえておもしろいものだと思っています。

もし、自分が忙しさとか何かしらの理由で書けなくなっても、ブログが好きだという気持ちをなかったことにしたくないし、こうして見える形で残しておきたいと思いました。

どうでもいいけど、今の悩みは自分のブログとsobokuが似ていてコードが二重管理みたいになっていることです。でも自分専用と汎用テーマでどうせあとあと違うものになっていくだろう…となんとなく思っているので、まあ分けておいてよかったよな、という気持ちもあり。ゆるく楽しんでいこうと思います。


インストールはこちらから
soboku - テーマ ストア

それじゃないといけないものと、嬉しさ

軽い外出のために、財布を整理したり小さいバッグを久々に引っ張り出してきた。改めて眺めたり持ったりしてみると、「あぁやっぱりこれにしてよかったなー、好きだなー、えへへ」と嬉しくなる。

ここ最近、身の回りのものをあまり整理していなくて忘れがちだったけど、お気に入りの好きなものを持っていることはとても気持ちが良いのだった。ものの取捨選択を怠っていたことに気づけて、また家の中を見直そうと思った。

ずっと気に入って大事に持っているものは、これのここが良くて好きなんだ、と、こだわりポイントがしっかりあって、それじゃないといけない理由になっている。奇抜なものは身につけないので他人から見れば「普通じゃん」という外見だけど、目立ちたいわけじゃないのでそれで全然構わない。その馴染みやすい普通っぽさの中に「自分は絶対にこれ」と感じる独自の良さを見出せるものに自分だけの幸福感のようなものがあるから。自己満足というのか、自分とものの間だけでそういう繋がりのようなものを感じられれば十分だ。

特にそういう思い入れがあるものは今のところ、腕時計、眼鏡、財布、バッグ、靴、指輪くらいか(自転車とかハンガーラックとか、身につける系じゃないお気に入りもまた色々あるけど)。そう思うと、大半のものは大して必要ないのかもしれない。

あまりアクセサリーを身につけなくなったのもそういう感覚から来ている気がする。理由と必要がないならしない。絶対というほどの徹底ではないけど。ちょっとした気分の変化やその時の感覚までねじ伏せる必要はないから。

家に帰って一息ついたら、あまり使わなくなったものたちに別れを告げよう。嬉しい気持ちで一緒に過ごせるものをより大事にできるように。

断捨離についての日記を書いているけど、ものに対して冷酷なんじゃなくて、大事なものをより大事にできるようにするための取捨選択、のつもり。

生きるのがこわい

大きく成長したり、大きく何かが変わるとき、変えるときって、ひどく挫折を味わうことがあると思う。

自分もそうで、次に進むタイミングの直前は本当にひどくて、「もう無理だ生きていけない…」となっていた。一瞬で楽に死ねる薬とかがあれば飲んでいたと思う。毎回。何回死ぬんだ。いま深く掘り下げる必要もないので淡々と書いているけど、結構まじめにそういう雰囲気だった。

それが、新卒の頃から一年〜数年ごとに起きている。それを経てゴミみたいな人生が一歩ずつ良くなっている実感はある。あるなら良いじゃんって話なんだけど、進むために毎回こんな思いをしなきゃいけなかったのが正直きつかった。乗り越えられない試練は与えられないって言うけど、先に書いたような薬なんかが手元にあれば、乗り越えずに終わっていただろうし。というか、生理前の精神面での症状を和らげる薬の効果がなかったら、死にたい頻度はもっと多かったはずだ。命がいくつあっても足りなかっただろう。

今はだいぶ元気に過ごせているので、こんな暗いことを書いているのも不思議で、その時その時の生々しい感覚は100%は思い出せないけど、事実としてははっきりと覚えている。

今の環境や人間関係(会社に限らず)は、金銭的な問題を除けば人生で一番恵まれているのでは、と思う。忙しくて大変、しんどいとかは確実にあると思うけど、それはそれとして、身近な人間関係の面で、こんなに健全に過ごす権利が私にもあるのかと驚いている。今までの積み重ねありきでそういう権利を得たと言ってよいのなら嬉しい。でも、こんな状態からまたどん底に落ちる時の感覚はどれほどのものだろう。耐えられるのだろうか。

言葉の力って良くも悪くもとても大きいので、こんなことを書かないほうがいいのかもしれないけど、書かずに飄々としていられるほど私は強くない。残念ながら。嬉しさと恐怖を感じながら日々過ごしている。

いつ訪れるかわからない挫折に怯えていてもしょうがないので、今やれることややってみたいことから逃げないで、感謝したいことに目を向けて過ごす。後悔しないようにやっていくしかない。