suinote

ゆるめの日常

今朝の夢

高校に入学した。

昨日まで会社員をやっていたような気がするのだけど…。というか前の席の人、会社の先輩だ。

プリントが大量に配られ、国語のような授業が始まる。授業の進みが早いのか、何も理解できないまま終わった。

最後に、プリントはきちんとファイリングして、定期的に提出してもらいますからね、と言われた。やばい、授業意味わかんなくてなんも書いてなかった…。

さっそく宿題も出る。あれ、昔高校生やってた時って宿題とかあったっけ…仕事もあるのに学校の宿題もあるの…無理じゃね…?っていうか私仕事してたっけ、仕事しながら高校通うんだっけ。何がなんだかわからない。

大量のプリントに面食らう。どんだけアナログなんだよ…時代遅れかよ…と心の中で愚痴をこぼす。仕事では取り急ぎのメモ以外に紙ってほとんど使わないから、紙の整理の仕方なんて忘れたし、ものが増えるのがストレスなことをよく自覚しているので、鬱の扉の前に立たされている気分になる。

会社の先輩はいつのまにか斜め後ろの席になっていて、その後ろに座っている私の友達と仲良く話している。私の前の席は、真面目そうな女の子になった。なんかちょっと質問とか相談とかしたら怪訝な顔をされそう。

授業の際の教室移動もある。まあ学校ってそうだよなーと思う。移動先で席が近くになった女の子が、化粧品を持ち歩いていたようで、机の上に置いていた。というか、周りの女の子はだいたい机に置いている。移動のたびに、お直し用の化粧品を持ち歩くのが常識らしい。え、持ち歩かないの…?みたいな微妙な顔をされた。うわー私女子力ない部類なんか…学校の文化ほんと馴染めねーわ…と諦めのようなものを感じ始める。

先生が授業でTwitterのページをプロジェクタに映す。学校関係のようではあるけど、何のアカウントなのかわからない。アカウントの表示名に悩んでいるというので、みんなで意見を出し合う。ここで当たり前のようにノートPCが登場しており、話し合いはskypeで行われた。なぜ直接喋らないのか。よくわからない学校だ。


と、とくに締まることもなくこの辺で目が覚めた。

学校系の夢は大抵文化や人間関係に適応できず苦しむものが多く、本当に疲れるので、あまり見たくない。

夢を書くことがそのまま愚痴の吐き出しのようなものになる…のかもしれない。

なんでブログを書くのだろう

書くことに関するイベントで発表を聞いたり、ツールを作っている人の活動などを見て、人は・私はなぜブログやポエムを書くんだろう、書き続けるんだろう、という疑問がしばしば頭に浮かぶようになった。

以前、こんなことを書いた。 suito.hatenablog.com

私にとってブログは、振り返り、思考の整理、言い聞かせ、などの役割が強かったらしい。この時は(あと、自分の経験したことが誰かの役にたつかも?という考えで残していたりもして、今でもそれはある)。

でも最近は、そういう強い役割を求めなくなった面もある。

単純に、誰かに話を聞いてほしい。そんなニュアンスが増えた。

大人になると、子供の頃みたいに毎日休み時間や部活で友達と「昨日はこんなことがあった」「こんなことで悩んでる」みたいなおしゃべりをすることが減る。雑談メールとかもしなくなるし。用事以外のメール的なことを日常的にするのも苦手になったし…。

話すことって物理的には可能だけど、そういうとりとめのない話とか、わざわざ話しかけてまではもうやりにくい。今そんなことをたくさんしていたら、「えっこの人どうしたの…」みたいな雰囲気になりそう。

でもやっぱり、誰かに話を聞いてほしい、という感覚がずっと消えていないのだと思う。別にアドバイスとか直接話しかけるようなコメントとかを求めてなくて、ただ聞いてほしいのだ、たぶん。女って解決策を求めずにただ聞いてほしいだけのところあるって言うし。そんなことを延々と誰かに直接話すわけにもいかないし、それで相手を消耗させることをしたくない。だから、読む読まないの自由が選べる場所があると助かる。とても居心地が良くて楽だ。そんな場所で、ただただ何か話すように書いていたいのだと思う。

と気づいたっぽいところで、いや、あれこれ考えずとも、そもそもブログってそういうもんじゃないっけ?って思ったのだけど、そういうもんであることを忘れていた。ブログと聞くと、PVとか収益とか、バズって有名になるとか、そういう世界もあって、最近はそっちが当たり前に感じてしまっていた気がする。そういう面に引っ張られない状態での、自分にとってブログってなんなのか、というのがどこかに押しやられていた。

そういえば、ブログのテーマを公開したのも、ネーミングも、そういう、自分なりのブログの価値観や居場所となるものを守りたいからだったはずだ(忘れていたのだろうか…)。

書くことで、自分が少しでも話した気になってなんとなくスッキリしたら、それでいいんじゃないか。それが私のような内向的な人間にとって小さくても救いになるなら、きっと大事なことだし、ずっと肯定していきたい。お金にならなくても有名にならなくても、生きているだけでしんどい私たちにとって、薬のようなものだから。

この日記、これはこれで、はじめに書いた「言い聞かせ」的なやつですね。

最近の花事情

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最近ブログには書いてなかったけど、花は地味に買い続けている。たまにまとめてアップしようかな。

あ、上の写真は買ったものではなく、浜離宮恩賜庭園で撮ったコスモスです。色合いが好きだったのでついでに。

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これの前に買ったガーベラがあまりにもすぐ枯れてしまい、ショックでカーネション(わりと長持ち)を買ったのだった。左上の黄緑のを買ったあとで、別の花屋で一目惚れしたバイパーワインという色のカーネーションと、アストランティアを。このアストランティアはほんのりピンクで、小ぶりなかんじも相まってとても可愛らしい。

ピンク、白、黄緑の組み合わせがどうも好きっぽい。

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カラーとアストランティア。仕事の関係でカラーという花を知り、身近な花屋に売っているのだろうか…と思っていたら、あった。細身で大人っぽい印象。アストランティアは白。なんとなく冬っぽい雰囲気にまとまった気がする。

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バラ三種。ピンクレース、デザート、テナチュール。たまに行く花屋にバラがたくさん並んでいて、あれもこれもかわいい〜〜〜ウワ〜〜〜〜と無言で大興奮したが、とりあえず手頃な価格でめちゃくちゃにならないバランスに収めた。ピンクレース(左上)、第一印象がピンクの芽キャベツだった。ころんとしてかわいい。

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ダリア。この色のダリアを初めて見て一目惚れしたとき、大変貧乏で買えなかった。この花自体は高くないんだけど。先日仕事帰りにたまたま見かけて、あっあれは!!あのときの!!と思い、閉店しようとしているところに滑り込んだ。すみません。

わりと淡めの花を買いがちなので、こういうハッキリとした赤を楽しめるのが新鮮だった。

花いいですよ

家に帰ってきた時に、花が目に入ると思った以上に癒される。一人暮らしで動物もいないので、こういう小さな癒しは重要。本数が少ないと手入れ楽だし。

束で買ったほうが安くつくけど、少ない本数を自分で選ぶのが好き。

引き続き花のある生活を楽しんでいこうと思います。