suinote

絵と写真とゆるくてシンプルな日常

やること

ものづくりをしてる人たちは日々どういう感覚で生きてるんだろう。

雑誌に載ってなくても、ネットで有名じゃなくても、ものづくりをしている人やしたい人は数え切れないほどいると思う。フォーカスされやすいのは、都心だったり、知名度のある会社だったり、露出のある人たちだったりするけど、その人達がものづくりをしている人すべてではない。見えていなくても、生み出す人はもっともっとたくさんいる。

ある物事を通して何を提供したいとか、世の中をこうしたいとか。そんな、自分の信念を持っていたり公言してる人、そうでなくひっそりとでもしっかりぶれない自分の軸がある人たちって、どれくらいいるのだろう。全国のものづくりする人の中でもほんの一部なんじゃないか?と思う。だって、それを見出せないから、多くの人が若いうちに現場を去っていくんじゃないだろうか。

ただ単に、「つくる工程が好き」って感覚だけでは、いずれ気持ち的にやっていけなくなるかもしれない。最初は楽しくても、仕事をくれた人への感謝も込めて貢献したくて夢中でやっていても、いずれ慣れてきて少し余裕ができて、違う視点でも物事を考えるようになってくると、「これって本当に世の中に価値を生み出しているわけではないのでは?」と気づいてしまう時が来たりする。そんなとき、自分はなんでこれをやってるんだろう、と価値観がぼんやりして濁ってくるかもしれない。というか、実際に2015年の自分がそうだった。その濁ったものは、当時から今にかけて、少しずつ薄くなってきてはいる。

私は、大人数でドカンと大きいことをしたいという気持ちがあまりなくて、今は、人に対して少しでも前向きな行動の後押しができるようにりたいとか、良い発見を人に伝えたいとか、喜んでもらったり安心してもらうとか、誰かにとってさりげなく役に立つような生き方がしたいと思っている。個人や少人数で、自分の目が届きコントロールできる範囲でやりたい。無理のない具合に。時期によって例外はあるけど、基本は無理なく、が前提だ。今まで何度も潰れかけたから。正直キャパシティがそんなに大きくないので、広げることも大事だとは思うけど、それにしたって個々の性質ってものがあるし、なんかもう向き不向きが分かれるようなことに無理矢理突っ込んでいかなくていいかなと最近思い始めている。潰れるよりも、小さくでも確実に生きていけるほうがいい。そういう軸のようなものが見えてきたのは良いことだと思う。

ちょっと脱線してしまった。
でも、そういう気持ちはあるものの、具体的に何を用いてそういう良いことをやるのかっていうのはまだ曖昧なままだ。可能性として、デザインをやめずにWeb方面で続けてみる(→転職)ことにしたり、ブログも続けてみることにしたり、やめようかと思っていた絵もまた描き始めた。自分に合っているかもしれなくて、何か見出せるかもしれないのがこの辺りだと今はなんとなく感じているから。そういう気持ちがなかったら今頃社会的に死んで、実家でまたニートしてたかもしれない。

今やっていることが自分にとって正しい選択なのかわからない。もしかしたら本当は合ってないものがあって、別のことをやったほうがいいってことも出てくるかもしれない。それが本当に納得いくことなら、その時は、今まで積み上げてきたものに縛られないで思い切って捨てたり、乗り換えられるかな。少なくとも、3年くらい前よりは、そのへんの判断力は上がってると思うけど‥。

人と接して、アンテナを張って、情報を集め続けて、取り入れて考えて行動していったら、いつか自分にはコレだ、みたいなのが見つかるのかな。見つかったらいいな。


なんとなく、こういう話を書くのは抵抗があったんだけど、最近しょっちゅう頭の中に浮かぶので書いてしまった。若い頃から豊富な経験をして自分自身と向き合って考えながら「つくる」力を積み上げてきたり自分の意思で進んできた人と違って、私は、20代後半でやっと自分で歩き始めたというか、土台を作ろうとしはじめたばかりの人間だ。だいぶ遅れて歩き出したことに対する虚しさのような劣等感のようなものがずっと拭えないでいるけど、それまでのことが無駄じゃなかったと思えるような、「つくっていない・何も生み出していない」時代の出来事も全部含めて自分の今後の経験に活かして、これでよかったんだと思えるようになりたい。なりたいというか、ならないと、一生報われないと思う。これからやることには、今までの経験とか考えとか好きなこととか、遠慮なく詰め込んでいこう。

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