suinote

ゆるめの日常

察してもらうなんて無理

とある時期、もう今の状況無理だ…と突然何かがプツンと切れてしまうような感覚になった。何が引き金になったかは覚えてないけど、それまでの我慢が重なって些細なことでそれが起こってしまったのかもしれない。たしか泣きながら、もう無理です、という旨を伝えた。

その時、相手は驚いていて、「そっか…楽しんでたと思ってた」と言った。私は正直「え?もう関わりたくないくらいなんだけど」と思った。でも振り返ってみたら、私は少し楽しそうに振舞っていた。そうしないとどんどん惨めな気持ちになっていくし乗り切れないと感じていたから、騙し騙しやっていたのだ。そんな風に過ごしていて、察してもらえるはずなんてなかった。

今になってすごく思うのは、自分が感じていることって、自分が感じているほど他人には伝わらないということ。打ち明けたところで100パーセント伝わるなんてことなんて難しい。だからこそ、まずは言ってみないとわかってもらえる可能性すら見出せない。

それで、打ち明けてみて、自分の気持ちが伝わればラッキーだし、現状からの改善・解決策を考えることに繋がればもっとラッキー、くらいの気持ちで構えることにしている。もしくは、本当にどうしようもないくらい切実なら、伝わるようにちゃんと内容を練っておくことだ。

それでもやっぱり、どんなに丁寧に伝えたところで、人それぞれ価値観の違いがあるので、「ふーん、だから何?私はそうは思わないけど」くらいの返しをされることもあるだろう。わかりあうことが不可能で、改善・解決の見込みが絶たれたとしたら、そこで初めて諦めがつく。

諦めがついたら、次の選択肢は、「思い切ってその人(コミュニティ)から離れる」か「そこで我慢し続ける」かの二択になる。もしかしたら誰かが助けてくれたり、まさかの改革が起こるかもしれないけど、それは運によるので、あくまで自分の中にある選択肢は二択、と考える。大きな選択には大きなエネルギーが必要で意外にも疲れるけど、ずっと私かわいそうと感じ続けているだけではどうしようもないから、どちらか選ばなくてはいけない。

まず伝えるという選択。合わせて伝え方を考える。すぐに伝わりそうになかったら、いつ諦めるかの選択、諦めたら次はどちらにするかの選択。そんな選択肢があることを忘れないように。