suinote

ゆるめの日常

10年以上先の世界

最近、少しだけど、おそらく10歳は上、もっと上だと自分の母親世代くらいの方のブログを読むことがある。元々はほぼ20代の人のブログしか読んでいなかった。そこに特に拘りはなく、なんとなくそうなっていた。

自分もなんとなく好きなようにブログを書いたり何か載せていると(はてなブログだったり別の場所だったり)、リアクションをくれる人のなかに、リアルの知人友人にはいないくらい上の年代らしき方がたまにいる。私もその方々のブログを読んでみると、自分のブログの何に共感してくれたかはなんとなくわかる。大きな差だと親子くらい離れていて、なかなか関わる機会がない関係だから、こうやってネットで共有できる感覚があることが不思議でおもしろい。

自分で言うのもアレすぎるんだけど、昔から繊細すぎる面があって、すぐに全てが嫌になって人生楽しいなんて思えなくて生きづらかったから、よく死にたいと思っていた。でも本当に死ぬに至る動機はないから、仕方なくどうにかそのまま生きていた。そのまま生きているとどんどん辛くなっていった。このままじゃ、死ねない私は寿命まで死にたいと思いながら生き続けることになると気づいて、そこから少しずつなんとかし始めた。おかげで現在は、死にたい人生からは解放されていて、20歳の自分からは想像もできない生活をしていると思う。一人暮らしをしていることですら奇跡ってレベル。その変化がなかったら、30歳にもなっていない今の時点で、もしかしたら全てを諦めて引きこもって死を待っていたかもしれない。

そんなふうに、20代にして人生諦めてた可能性が大いにあって全く未来に希望を持っていなかったことやその恐怖を今でも忘れずに生きているから、もっとずっと上の世代の方が、今からでも遅くないと何かを変えようとしている日々や見聞きした良いことを綴っているところが本当に素敵で、かっこよくて羨ましくて、美しく見える。

ここ数日ですごく感動した記事や好きなブログがあるのだけど、今自分が抱えている、克服していない不安や恐怖のようなものを悟られてしまうのがまだ怖い、という弱さから、まだご紹介する自信がない。のが申し訳ないながらも、ひっそりと、あなたの文章が大好きです、応援してます、という気持ちでリアクションを残している。


ひとつだけ、もともと自分が書いたものがあった以上、今更隠れることもないなぁと思っているのでこちらを。

hydrangea.hatenablog.jp なんというか、母親目線の正直な気持ちを覗いてしまったのが、すごくドキドキした。もしかしたら、若い時に都会に憧れていた母親も、私に対してこういうことを思っていたかもしれない。そして、自分が今、好きなことを好きなだけやったり、言いたいことを正直に言える人間にならないと、母親になったときに同じ悔しさに耐えられなくなってしまうんじゃないかと、そういうことを教えてくれた。


長い月日とともに、変わることや挑戦することを徐々に拒むようになってしまう人は多いと思うから、やっぱり何かを変えようと歩いている人たちが本当に素敵で励みになるし、私が10年20年先も生きていたら、今私が好きな文章を書いている人に恥じないような生き方をしていたい。

なんだかめちゃくちゃ感傷的な雰囲気になってしまったけど元気です。洗濯物でも畳んで落ち着いてきます(面倒すぎて実家が恋しい)