suinote

ゆるめの日常

ちょっとした雑記集 19年11月〜

数ヶ月おきに気が向いたらやっていこうと思っているやつです。短文を書いている別のブログサービスや、自分用のポエム庫から持ってきています。


インターネット

私のブログがきっかけでブログ始めてみましたって人がいて、私なんかが昔書いたことが、同じつらさを抱えてる人がいるんだってだけで救いになってるって書いてくれてて、めちゃくちゃ嬉しかった。最近は雑な日記しか書いてないんだけど、それも楽しみにしてくれているみたいで。

自分の何かが好きと言ってもらえるのもうれしいんだけど、自分がきっかけで何かを始めてみましたって、実際に行動起こしてもらえるのってすごいなうれしいなーへへへと思っちゃうな。インターネットですわ

11/04

後悔しがち

最近、仕事しなきゃだからとか、それ以外は疲れてるから休む時間確保しなきゃとかで出かけるのを中止したり、お誘いを断ったりしてしまっていた。

でも結局断った分の仕事は捗らず、休むにも何かが気になってうまく休めなかったりで、結局活動していればよかったのではと思う。

昨日早く寝て今日早く起きてリセットしようと思ってたら、昼近くまで寝ていた。ダメすぎる。経験上、このだるさとやる気のなさは鬱だと思う。鑑賞も生産も何もやる気が起きない。こういうときに無理やり仕事しても嫌にしかならないから、今日は作業自体はしないことにする。夜にでも気が向いたら仕事じゃないことをする。

そういえば、なんとなくたまに人に一緒にいてほしい・甘えたいけど、実際のところそれ以上何かすることを望んでいない、みたいなのってなんなんだろうな。わがままなのかもしれない。

11/16

なんらか

外に出る機会が多いとすぐエネルギーがなくなるので(嫌な予定かどうかに限らず単に消費が激しい)、社で大人しく・忙しすぎず過ごせた週は充電できてる感がある。充電大事。

11/28

ねむい

起きて少し家事して、ゲームしてた。やはりゲームがあると生活が終わってやばいなと思いつつ、アニメを見ていたとしても一気見で休日が終わってしまうので、やり込み要素を除けばゲームもアニメも生活の終わり方は同じな気もしてきている。

あと、一人暮らしなのもあり、どうせ誰にも迷惑かけないし喜んでもらって自分も嬉しいみたいなこともないので、どうでもいい感じになってるのも微妙。べつに寂しいわけではないしトキメキライフに期待しているわけじゃないけど、少し変化とか影響を受けたり与えたりの相互作用はよさそうだなと思うと、人と住んでみたい気持ちはある。

変化といえば、たまたま会社の人からもらったパンに塗るチョコが美味しかった。コンビニの安いパンをトーストしただけのものなんだけど。普段トーストって全然やらないので、とても新鮮だった。たまには新鮮なことをやっていきたい。

ねむい。

12/01

電車

通勤時間、読書なり動画なり楽しんで、無駄に過ごさないようにしているつもりだけど、虚無っているときひたすらぼんやりしているだけなので、時間がもったいなくて困る。

ただ、このぼんやりするしかない環境も大事なのかもしれない。家だと、家だから何かやらなきゃという気になる。だからたまにこういう時期があってもいい、と思いたい。

おわり。

12/02

寒いけど

今日みたいに晴れてて、風もなく気持ち良い日に有給とって、人が少なくいい感じの場所を散歩したい。

そしてお昼にパスタ食べたい。外でパスタを長らくやっていない。

そういえば京都に数点展開している美味しいパスタ屋さんがあったけど、名前が思い出せない。まあ、ここ東京だしな。

12/04

すごすぎる人と比べて自分がすごくないのは当たり前なので、あまり気を落とさないようにしたい。落ち込みすぎて動けなくなる方がよくない。 まわりにすごすぎる人が多すぎるだけ。

12/18

好きな人に会いたいけど、心身の調子が良くなくて、やめてしまった。延期。こんな状態で会うのはお互いにとってあまりよくないと思った。

今は一人暮らしで、わたしの家はわたしの家だ。こんな荒れている状態で出迎えるのもあまりスッキリしない。わざわざ会いに行っても、だるい状態の自分を晒すだけになる。べつに悪い状態を隠したいとかじゃなくて、むしろそういう性質なのは知ってもらっている。ただ、せっかくわざわざ会いに来てもらう・会いに行くのなら、まあまあのコンディションでありたい。というだけ。それを楽しみに、移動とか準備とか、時間を使うわけだから。

一緒に住んでいたらまた違う思う。べつに「わざわざ会ったのに」っていうのはないし、なるべく迷惑をかけないように、別の部屋か個々のスペースとか、少し離れて過ごせばいいから。たぶん自分はそういう時は寝てるか大人しく何か鑑賞してると思う。それで、お互い必要な時にサッと寄り添えたらとてもいい。

昔は自分の病質のことを今よりも理解していなかったら、当時付き合っていた人にもちゃんと説明ができておらず、このように会うことを延期したり鬱の時に遅刻しがちなことを怒られていた。自分でうまくやれていなかったわけだから相手を悪くは思ってないけど、あの時はしんどかった。

今、身近に理解者がいることは本当に幸せなことだと思う。でも甘えすぎてしまうのがこわい。そういうわけだから今週は会わないって選択をしているところもある。自分で会わないとか言っておいてつらいけど、八つ当たりしたり、酷い依存をしないために、大切な人とよい関係でいるために、そこはちゃんと選択していきたい。

なんというか、もうちょっと器用に生きたいものだな。

女子をやっていない

思えば、化粧品をあまり買わなくなったし、美容室も超最低限でカットしかしなくなったし、普段シャンプー後はコンディショナーやトリートメントをしていないし、ボディケアもしていないし(脱毛だけはセルフでやってる)、ネイルサロンも行ったことないし、服も下着もユニクロ無印くらいの価格帯(全身安物はポリシーに反するのでポイントでお金出すことはある)だし、そんなもんなので、それぞれしっかりしてる人すごいなと思ってしまう…時間とかお金とか…。

なんちゃらケアでいうと、乾燥が気になる時期は確実にあるけど、手ならハンドクリーム(超少量)、リップクリームのかわりにワセリン、身体全体ならワセリン(伸びが悪いので化粧水少し混ぜる)、とか、その程度。洗顔後、化粧水と乳液が面倒な時はワセリン。ワセリン便利すぎる。ハンドクリームがなくなったらワセリンを使うと思う。

かわいいものは欲しくなってしまうけど、結局お金かけてまで視界に入ったり管理したりする物を増やたり、ものを使うこと自体にも時間を使いたくないんだと思う。自分は。

かわりにゲームとかiPadとか買っちゃってトントンかもしれないけど…頻繁に買い換えるわけでもないし、娯楽費としては高くないと思う。商売道具だったり、制作モチベ維持のための必要経費。あまりお金使った遊びもしないし、これくらいは全然構わないと思ってる。

きっと、女子をやることも、日々のテンションというか、楽しく生きるモチベーションのひとつなんだ思う。批判ではない。価値観の違い。一時期自分がそうだったからすごくわかる。女子っぽいあれこれにお金も時間もかけていた。でも、自分の性質を知ってからどうも違和感が増していき、徐々にやめていった。なんだか無理があって、そちら側にはいられないと思った。

どうしても、女子をやっている人に引け目を感じるようになってしまって、いっそそっちにはいかんぞ、こっちはこっちで地味だけど楽しめるようになるぞって割り切ってるのかもしれない。キラキラはしなくていいので、「まあまあいいかんじ」でありたい。そうしていられたら充分。頑張ってはいないけどまあいいかんじだね、程度の、そんなかんじ。たくさんのお金と時間をかけなくても、一応、そのくらいには気を遣えるものだと思う。