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ゆるめの日常

『努力の選び方』読んだ

努力の選び方

努力の選び方

タイトル見て気になりすぎて読んだ。 自分にとってはとても耳の痛い話が詰まっていた。

内容としては
「報われない、無駄な努力」はやめて「結果につながる報われる努力」をするべき。
明確な目的もなく、自分に向いてなくても、頑張れば報われると思って目の前のことすべてを頑張るのではなく、向いてることを自分で選んで頑張ったほうがいい、というかんじのもの。

と書くとそんなの当たり前のことではあるんだけど、自分はできてなかった。
考えてみたら、自分が今まで頑張ろうと思ってやってきたことって、自発的に好きになったことややりたいことに熱中するというより、「これはおそらく頑張っておいたほうがいいだろう・頑張らないといけない」と、受験だから、仕事だから、とかそういう感覚だった。
自分には何の取り柄もないし、目の前にあることをとにかくひたすら頑張らなければ、頑張ってたら報われるだろうと安直に思っていて、向いてるか向いてないかとか自分の性質をちゃんと考えたり向き合ったりしてなかったのだ。
結局大した幸福感は得られないし劣等感がいつまでも拭えなかったし、報われてないというか、やったこと相応の喜びは感じられなかった。

友達や知り合いで素敵だと思う人のことを改めて考えてみたり今までの会話を思い出すと、大好きなことを頑張っているからこそだよなーとか、そもそも好きすぎるから「努力」という感覚じゃなくて楽しんで全力でやってるところがもうほんと敵わないなと思った。

でも、自分の場合は昔から継続して熱中している大好きなことってなかったし、仕事に関しては当時は仕方なかった。
結局報われない1回きりの使い捨ての技術みたいなことを中途半端にあれこれ触れてきたけど、そのおかげで、やりたくないことや向いてないことは少しずつ見えてきてるし、報われない努力を排除していってるだけでもまだマシな気がする。
なんとかいいかんじになる流れに持っていきたい。

報われるっていうのは必ずしもお金になることに限らないと思ってて、自分が選んでやってることで幸せに感じられるようになるのであれば、それでいいかなと思う。

とりあえずこれからも絵は描いていきたいっていうのは強くなってきた。昔から絵が描けることに対しての憧れがあったのに劣等感と変な意地によって学生時代なんかはあまり描いてなかったのをすごく後悔してるから。
といいつつ最近は考えごとが多くて絵よりブログ書いているけど、せっかくならそれ用に何か描いていくっていうのもアリかなと思ってちょっと載せたりしてた。

この本に限らず、わざわざ本読まなくても自然と自分にとって良い選択をする思考が身についてる人いっぱいいるし、そういうの羨ましい、と何か本を読むたびに感じてしまう。