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ゆるめの日常

本『仏教の「無価値」論 』をさらっと読んだ

仏教の「無価値」論 という本をさらっと読んだ。 感想書こうと思いつつ気づいたら読んで一ヶ月以上経ってしまった。

仏教のことは全然知らないんだけど、生活の思考の無駄を省くヒントになるのではと思って。すごく強く心に残る内容ではなかったものの(軽く読んだ程度だから、というのもある)、あぁそうだなーもうちょっと気楽になれそうだなと思えた。

全体的には、あれこれいろんな物事にひたすら価値をつけてその価値に振り回されるのをやめよう、と考えさせられるものだった。

私たちは物事に価値をつけているからそれに縛られて苦しくなるんだそうで。捨てられない思い出の品、憧れのあの人が持っているから欲しいと思ってしまう物。その思い出の品が、思い出の品ではなかったら?憧れのあの人が持っていなくて、全然興味のない人たちの間で流行っているだけでいつでも安価で手に入る物だったら、本当に価値を感じて欲しい気持ちが湧くか?

物はどこにあってもその「物」でしかないのに、思い出の品とか、好きな人が持ってるからとか、そういうフィルターがかかると自分の中で価値が跳ね上がる。そして捨てるか迷うこと苦しんだり(決断疲れ的なやつ)、簡単に手に入らないことで苦しんだりする。

確かに、それまで大して興味もなかった物が、何らかのきっかけで欲しくなってしまうことがある。私は物を減らして生きていこうとしていたのに、最近インテリア系の記事やお店を見ていたら、物欲が湧いてきてしまった。調べようとしていたことに付随して、目的から脱線していろんな物に誘惑されてしまう。そして、欲しいと思いはじめて、気軽に買えるものではないことにモヤモヤしてまう。そういう時にこの本を思い出したら、どこかの誰かがつけた価値にひっぱられて疲れていることを自覚して少し冷静になれる‥気がする。

大半の物事を無価値だと思えるほど極めるのは自分には無理だけど、少なくとも今の自分に必要か、本当はべつに自分にとって価値のある物ではないのでは、と立ち戻って考えて判断する力はもっと養える気がする。常に意識していれば。

不要かもしれないのに自分でなんとなく価値をつけてしまってる物事に縛られなくなったら、やるべきことにもっと注力できそう。すぐには難しそうだけど、近づきたいとは思う。

あと、この考えが身についている人は、何か問題が起こっても常に落ち着いているらしい。私は何か起こるとひどく動揺したりワーっとなってしまうタイプだけど、本当はなにが起こっても次にやるべきことは決まっていて、それをただ処理すればいいだけのこと。確かにそれはそうなんだけど、意外と忘れがちな気がする。本を読んでからは、ちょっと困ることが発生して動揺しているときに「いやいや気持ちなんてどうでもいいんだ、次やるべきことをやればいいんだ」と思い出すようになった。そういう心構えでいたいというか、それを自分の中で当たり前にしたい。


余談だけど、もうほとんどKindleで本を読んでいて、紙の本のようにパラパラめくってさっと確認できないデメリットはなかなかカバーできないなと思った。読んでしばらく経っていて記憶も曖昧になってきたし、もうちょっとハイライトを活用したい。