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suinote

シンプルでいいかんじに生きたい

6時間は寝るようにする

平日の睡眠時間が6時間に満たないことが多い。あんまり良くないよなぁと思ってるので改善したい。

何が良くないのか

体調に良くない

5時間睡眠が続いても仕事を休むレベルで体調を崩すわけではないので明らかな悪さには気づきにくいけど、6時間睡眠を続けている時との調子の違いは確実にある。睡眠を削ってまで頑張ったところで調子が悪く色々非効率になるよりは、睡眠を確保しつつ、同じレベルのことをさっさと済ませられるようにちょっと頑張ったほうがいい。

だらだらネットをしてしまって時間の感覚がわからなくなる

べつに睡眠時間を削って何かを頑張っているわけじゃない。主にネット。寝る前にスマホを触るのはべつにいいんだけど(本当は睡眠に響くらしいので良くはないけど、アラームとか予定の確認くらいはする)、ついでにちょっとネットを始めると芋づる式に気になるネタがどんどん出てきてやめどきがわからなくなる。あと、私は気になることや好きなことを調べだすと止まらなくなってしまう。欲しいものに関しては尚更だ。買うものは自分が一番納得いくものを選びたいと思うと結構こだわる。でもその場で決める必要なんてないのに気になって延々と調べてしまう。

行動力が改善されない

5時間睡眠でいいやと思うと、「まだ1時間あるしな〜」なんて油断して、面倒なことをそのまま放置してしまいがち。もしくは、何かやるにしても、本当は30分で終えられることを1時間かけてしまうとか。それから、時間があるのをいいことに、物事の判断も後回しにしてしまい、決めたいことを決められなくなる。優柔不断のままになってしまう。

6時間寝るために

6時間寝るためにどうしたらいいか。自分の場合。

寝る前のネットを控える

当たり前すぎる‥。禁止はしないけど、芋づる式に出てきそうなものにはなるべく触れない。さらっと見てスッと終われる程度に留める。本はわりと適当なところでやめられるので、寝る前はネットより誘惑のない本を読むほうが良さそう。

てきぱきやる

やることを後回しにせず、思いついたら悩まずにパッと手をつけてさっさと終わらせる。主に家事。

夜っぽく落ち着いた環境にする

まず音楽。もともと元気な曲や激しい曲のほうが好きなんだけど、寝る気がなくなりそうなので最近は夜は落ち着いた音楽を流すようにしている。それから、部屋の照明を暗くした。備え付けの蛍光灯では深夜は眩しすぎるので、ライトを2つ購入して、それを点けるようにしている。この2点でだいぶ落ち着いた部屋になるので、気持ち的に寝る準備がしやすい。

眠すぎるときは諦めてさっさと寝る

眠いながら「やらなきゃ‥今ここで止めるのは中途半端で気持ち悪いから‥」と思いながら机でしばらくウトウトしていたり、本を読みながら寝落ちしていることが最近多い。変な時間に起きてまた寝るのは気持ちよくないし、ただ時間を無駄にしてるだけなので、いいかげん諦めることを覚えたほうがいい。

期待される効果

  • 行動力が上がる
  • やることの取捨選択のレベルが上がる
  • 健康の維持

こんなもんだろうか。このあたり今の自分の課題だと思うし、やらない理由はないかんじ。

とりあえず平日の一週間ちょっと

いきなり「これからずっと頑張る!」というのはハードルが高すぎるので、とりあえず平日、来週いっぱいなるべく続けてみようと思う。2〜8時の間かな。もっと早いほうがいいだろうけど、時間帯を一気に変えるのもハードルが高いので、まずはこれくらいの時間帯から。

6時間寝るためにどうこうとか、書くまでもないような大したことないものなんだけど、私はこうして書かないとすぐ意識が薄くなってしまう。書こうとしてみて改めて、寝る直前にネットをしたがる傾向が強いことに気づけたし。そして行動力とか取捨選択とかは、自分にとって切実な問題でもあるので、こういう、生活の小さなことから訓練していくことはきっと有意義なはず。

というわけで今日は本を読んで、2時までに寝る。

ねぎ明太丼

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余ってる長ネギを消化しようと作ってみた。
写真に明太子感が全くないけど明太子混ざってます。

  • 長ネギ1/3くらいを輪切りにしてレンジで500Wで2分ほど加熱
  • ↑の長ネギに、好みの量の明太子(辛くないの)、しょうゆ、マヨネーズを適当に混ぜる
  • それをご飯に乗せて、温玉をのせて適当にトッピングして完成

感想とか

加熱した長ネギの甘さが目立った。明太子の量を増やしたらいいかんじになりそう。あと、刻み海苔があると見た目が良さそう。でも使い切れないので基本買わない。かわりに黒胡椒をふってみて、まあこれでもいいかってかんじ。

マヨネーズが好きなのはもうどうにもできないので、せめて量を減らそうと、マヨネーズ欲に対して醤油の割合を多めにするように少しだけ気を遣ってる。それでも、実家暮らしだった頃よりはマヨネーズを使う量は減ってきていると思う。カロリーハーフとかも、カロリーが少ないとはい一長一短みたいだし悩ましいところ。すごく手間暇かけて超健康的なごはんを作る気力はないので、せめてマシなものを食べていたい。

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二着増えて二着減らした

f:id:suito15:20170413021339p:plain:w600 先日、服を二着買って、そのぶん二着処分した。去年のいつくらいからか覚えてないけど、服の総量を増やさないように心がけている。むしろまだ減らせると思うので、減らしたい。

服に関しては、「着ていない」「もう似合わない」を基準に処分してきて、自分にとって無駄なものはもうなくなっていた。だから今回何を処分するか、一着は入れ替えのつもりで買ったからいいんだけど、もう一着は迷った。

結局、春もので結構気に入っていたパンツがあって、暖かくなってきたら使おうと思っていたんだけど、それを手放すことにした。「着ていない」「似合わない」の基準で考えると捨てなくていいものなんだけど、視点を変えてみて、「着るけど、(たぶん)似合うけど、でも、なくてもべつに困らないのでは?」と問いかけてみると、結構すんなり決めることができた。パンツは本数的には充分持っているので、その中で、季節の事情や着回しやすさ的に使用頻度が少ないものなら、一本くらい減っても特に問題はない。

「なくても困らない」は、服を処分する基準としては今まで自分の中になかった。こうして新しい判断基準ができるくらいには、服を減らせて、服の所持具合がベストな状態に少し近づいたのだと思える。外出時の服選びが確実に楽になったし、無駄遣いもなくなったし。もっと気持ち良い状態にしていきたい。

やること

ものづくりをしてる人たちは日々どういう感覚で生きてるんだろう。

雑誌に載ってなくても、ネットで有名じゃなくても、ものづくりをしている人やしたい人は数え切れないほどいると思う。フォーカスされやすいのは、都心だったり、知名度のある会社だったり、露出のある人たちだったりするけど、その人達がものづくりをしている人すべてではない。見えていなくても、生み出す人はもっともっとたくさんいる。

ある物事を通して何を提供したいとか、世の中をこうしたいとか。そんな、自分の信念を持っていたり公言してる人、そうでなくひっそりとでもしっかりぶれない自分の軸がある人たちって、どれくらいいるのだろう。全国のものづくりする人の中でもほんの一部なんじゃないか?と思う。だって、それを見出せないから、多くの人が若いうちに現場を去っていくんじゃないだろうか。

ただ単に、「つくる工程が好き」って感覚だけでは、いずれ気持ち的にやっていけなくなるかもしれない。最初は楽しくても、仕事をくれた人への感謝も込めて貢献したくて夢中でやっていても、いずれ慣れてきて少し余裕ができて、違う視点でも物事を考えるようになってくると、「これって本当に世の中に価値を生み出しているわけではないのでは?」と気づいてしまう時が来たりする。そんなとき、自分はなんでこれをやってるんだろう、と価値観がぼんやりして濁ってくるかもしれない。というか、実際に2015年の自分がそうだった。その濁ったものは、当時から今にかけて、少しずつ薄くなってきてはいる。

私は、大人数でドカンと大きいことをしたいという気持ちがあまりなくて、今は、人に対して少しでも前向きな行動の後押しができるようにりたいとか、良い発見を人に伝えたいとか、喜んでもらったり安心してもらうとか、誰かにとってさりげなく役に立つような生き方がしたいと思っている。個人や少人数で、自分の目が届きコントロールできる範囲でやりたい。無理のない具合に。時期によって例外はあるけど、基本は無理なく、が前提だ。今まで何度も潰れかけたから。正直キャパシティがそんなに大きくないので、広げることも大事だとは思うけど、それにしたって個々の性質ってものがあるし、なんかもう向き不向きが分かれるようなことに無理矢理突っ込んでいかなくていいかなと最近思い始めている。潰れるよりも、小さくでも確実に生きていけるほうがいい。そういう軸のようなものが見えてきたのは良いことだと思う。

ちょっと脱線してしまった。
でも、そういう気持ちはあるものの、具体的に何を用いてそういう良いことをやるのかっていうのはまだ曖昧なままだ。可能性として、デザインをやめずにWeb方面で続けてみる(→転職)ことにしたり、ブログも続けてみることにしたり、やめようかと思っていた絵もまた描き始めた。自分に合っているかもしれなくて、何か見出せるかもしれないのがこの辺りだと今はなんとなく感じているから。そういう気持ちがなかったら今頃社会的に死んで、実家でまたニートしてたかもしれない。

今やっていることが自分にとって正しい選択なのかわからない。もしかしたら本当は合ってないものがあって、別のことをやったほうがいいってことも出てくるかもしれない。それが本当に納得いくことなら、その時は、今まで積み上げてきたものに縛られないで思い切って捨てたり、乗り換えられるかな。少なくとも、3年くらい前よりは、そのへんの判断力は上がってると思うけど‥。

人と接して、アンテナを張って、情報を集め続けて、取り入れて考えて行動していったら、いつか自分にはコレだ、みたいなのが見つかるのかな。見つかったらいいな。


なんとなく、こういう話を書くのは抵抗があったんだけど、最近しょっちゅう頭の中に浮かぶので書いてしまった。若い頃から豊富な経験をして自分自身と向き合って考えながら「つくる」力を積み上げてきたり自分の意思で進んできた人と違って、私は、20代後半でやっと自分で歩き始めたというか、土台を作ろうとしはじめたばかりの人間だ。だいぶ遅れて歩き出したことに対する虚しさのような劣等感のようなものがずっと拭えないでいるけど、それまでのことが無駄じゃなかったと思えるような、「つくっていない・何も生み出していない」時代の出来事も全部含めて自分の今後の経験に活かして、これでよかったんだと思えるようになりたい。なりたいというか、ならないと、一生報われないと思う。これからやることには、今までの経験とか考えとか好きなこととか、遠慮なく詰め込んでいこう。

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居場所

少しでも安らげる自分だけの居場所がほしい。家とか温泉とかそういう実在する場所じゃなくて、精神的な居場所というか、心の拠り所というか。ものすごくフワッとした希望だ‥

大好きな友達や恋人と一緒に過ごす嬉しさとはまた別で、一人の場所。自分は死ぬまで自分と付き合っていくわけだけど、自分以外の人に居場所を求めて安らぎを得ても、相手はいつでも、いつまでも一緒に居られるわけじゃないから、そこを拠り所にしてしまうのは怖い。だからこういう希望を、一人であること前提でしか考えられないのだ。

実在しない場所となると真っ先に思いつくのは、まあネットかなと思う。でも、SNSは今はほぼオープンな状態で使っていて、それではあまり意味がない。いつも歩いている公共の場が同時にネットにも存在していて、そこを行き来しているような感覚だから、自分だけの居場所っていう感覚はない。知っている人がいなくて、コミュニケーションをあまり意識しないところで淡々と何かしているのが良いかもしれない。今のところブログにコメントできないようにしてるのも、なんとなくそういう気持ちが関係しているからだと思う(コミュニケーションとらなくても、好きで見てもらえることはすごく嬉しい)。匿名で発言できる場所では、その時その時の感覚や感情を都度捨ててしまうようで、自分自身と自分の居場所を作り上げていけないから使っていない。

何かこれといった自分の信念みたいなのがあれば、それを軸に安心して進んだり休んだり生き抜いていけそうだけど、残念ながらまだそんなものは見えていない。というか、見えてない人っていっぱいいると思うけど、日々どうやって自身の感覚と向き合ってるんだろう。

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