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ゆるめの日常

無職だった昔のはなし

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あまりにもボロボロになってから辞めると、回復のために休んでいてもそのまま落ち込みがちですよね、というかそうだった。

うつになってからじゃ復帰が大変、というのも確実にあるけど、私の場合はあまりにも世間知らずなせいもあった。前回無職だったのは5年以上前の話だけど、当時はWebにも全然詳しくなくて(直近の環境とは縁遠い、地方の地味なオペレーターだった)、SNSの活用なんてしてなかったし同じ業界の知り合いもいなかった。初めて入った会社の価値観しか知らないまま「これが社会なんだ」と思い込んでいて、会社で自信をなくしたまま、会社から解放されてもなおその価値観に縛られっぱなしで自分自身を卑下する日々になってしまった。

仕事内容は嫌ではなかったものの、怒鳴り続けたり機嫌取りをしなければならない上司にみんな疲弊していて、特に女性が次々と辞めていく入れ替わりの激しい職場だった。今思えばそれだけ入れ替わりが激しいということはあまり良くない要因があるわけで、私が自分を責める必要もないしさっさと辞めてもいいじゃんと思えるんだけど、そう思えるのはやっぱりその後いろいろ経験して外の世界を知ったことが大きい。それがなかったら今もずっと周りが怖かったり自分が大嫌いなままだったと思う。

当時の無職のあとは運良くWeb方面の仕事に関われることになって、情報収集のためにネットを活用するようになって、SNSも好きになって、知り合いもできて…そうやって外の世界を知っていったり、少しずつだけど絵やブログなど、ネットありきの趣味もできて素直に楽しめるようになってきた。特に趣味は、精神面を全て会社に依存しないためにかなり重要だったと思う。自己評価も良い意味で変わってきたし(自分で思っていたほどクズではないと思えるようになった)、自分の生き方の問題点なども把握して変えようと思えるようになったし、今回の無職は前回の無職と感覚が違う。

まあまだ転職先決めてないしあまり大きなことは言えないけど…毎日早く死にたいと思っていた昔に比べたらだいぶ変わったし、ネットがある時代に生まれて本当によかった。同年代のWeb系の人に比べたらスタートはだいぶ遅かったけど。リア充タイプでない自分に、ネットがなかったら今頃どうなっていたかと思うと結構恐ろしい。

これからはとにかく一部の文化に縛られて流されないように、自分の気持ちに蓋をしてはいけないなととても思う。昔は、力をつけるためなら徹夜でも毎日終電でもやるべき!と思っていたけど、やるべきなのかは貢献度も含めて自分の人生にプラスになったり必要なのかそうでないのかによるし、そこも踏まえた上で仕事との付き合い方を決めたい。そんなのは我儘だと言う人もいるかもしれないけど、我儘せず言いなりで生きてきた結果が昔の無職時代のような死にたい日々だったので、遠慮しすぎないほうがきっといい。

NOと言えるようになってから少し楽になってきた

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十代の頃からずっと「嫌だ」「断る」「無理」などの主張ができなかったけど、やっと、だんだん言えるようになってきた。仕事に限らずプライベートもいろいろな面で。

純粋に嫌だという気持ちの問題だったり、単純に都合(無理に詰め込んで自爆しないための調整)だったり、自分にとってプラスになるような良いことなのかの判断のうえだったり、素直に正直に。

いろいろやってみることはいいけど、永遠になんでも受け入れていると自我が育たなくて振り回され続けてつらい状況から抜け出せなくなる。

以前は「なんで私だけ」と自分の不幸さに卑屈でいたけれど、そういえば昔からずっと周りよりも一段と何かを引き受けたり受け入れたりするタイプだったように思う。親切のつもりの時もあったけど、大半は親に否定されること、先生に怒られること、友達に嫌われたりいじめられたりするのが怖かったというものある。それは親との距離感、ネチネチした厄介な先生、転勤族なことによる転校などの影響もあると思う。

でも大人になると、大人の世界に放り出されると、誰かが守ってくれるわけじゃない。人を都合よく利用してくる社会は容赦ないし、無自覚にいつまでも振り回してくる人もいる。大抵向こうも悪意はなくて良好な関係を築いているつもりで接してくるから、こちらが主張しない限りしんどいことに気づいてもらえない。だれも助けてくれないし、昔の環境を言い訳にしていてもどうしようもなくて、ストップをかけられるのは自分しかいなくなる。まあ助けてもらえることもあるにはあるんだけど、あくまで運だったり助かる可能性の一部でしかないので、あてにするべきではない。

このままだと一生使い倒されるだけの人間になってしまう、となり危機感が出てきて、少しずつNOという勇気を持ち始めて、実行できるようになってきた。いまは無職なので仕事が詰まりすぎててヤバイから〜みたいな状況には活用できてないけど、その他の面にはおいては不毛な思いや過剰に気疲れすることが減って、精神衛生が向上している。

できるようにちょっと気持ちいいし、以外と問題なかったりする。なぜそれまでこういうスタンスでいられなかったのか不思議なくらいだ。NOと言ったせいでそれで関係が悪くなっても、価値観が合わないんだから離れて正解だし縁がなかったと割り切ればいい。好きな人や大事な人と良い関係でいられたら充分で、万人を意識して好かれる必要なんてないのだ。

自分が外から何かを受け入れることができる量には限界があると痛感しているので、身の回りのこともちょっと強い気持ちで整理していかないと。

冷えと寒さと物

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手が暖かい時にお腹に手を当てるとお腹に優しいかんじでちょっとホッとするけど、大抵保冷剤のように冷たいので害になる。

厳しい時はカイロを使っていて、あまり経済的ではないので腹巻を買おうかなと思う反面、衣類を増やしたくない気持ちもあってまだ買っていない。肌着とか、必要なものをヒートテックに置き換えるとかその程度。

なるべく物を増やさない生活がしたくても、なんだかんだ冬は体のことを考えると妥協しないといけない場面もあって、悩ましいところ。電気毛布、布団乾燥機、電気あんか、ストーブ、加湿器、ケトルなどなど…。そのうち所持しているのは今は足元用の小さいストーブだけ。電気あんかは電源切り忘れが多くて不安になったので手放してしまった。

物の取捨選択、判断力が常に試されていて、戦いだよなぁと思う。最近ちょっと家の中がなんとなく停滞している感が出てきたし年末も近いし、大掃除の準備も兼ねて意識的に断捨離するフェーズに入りたい。