仕事をする精神的な体勢
人の顔色を少しずつ伺わなくなって、やっと仕事ができる体勢になってきた気がする。無駄な気疲れが減った効果。ここ2年くらいの変化。
20代前半の頃の性格のままだったら今ごろ仕事どころじゃなく潰れていたと思う。作ることについて考える以前の問題でやられていて(そちらの応急処置や改善に時間やお金をかけていたため)、デザインに関することに割くエネルギーが残っていなかった。その間そこに割けていなかったのはデザイン面の成長を逃していたわけだし、今諸々の事情で厳しい生活をしているのもあって切ない。
デザインとか仕事のスキル習得期間と引き換えに使っていた時間、乗り越えてきたことは無駄にならずにこれでよかったんだといつか思える日が来るだろうか。
どちらにせよ、せっかく気持ちは自由になって少し余裕が生まれたのだから、やることにはしっかりと向き合っていきたい。
もしかしたら同じようなことを以前書いたかもしれないし、それは別のブログかもしれないんだけど、こういう日記を書く時っていちいち確かめようと思えないのでそのまま置いておくことにする。
しょーもない話
珍しく痴漢にあってしまった。尻を揉まれた。
最初は左側で、満員だから手が当たっちゃって仕方ないやつだと思って様子見だったけど、遠慮なく触り続けてくるし、ちょっとポジションがずれると今度は右から揉んできた。
気持ち悪かったのでキレ気味にやめてくださいと言ったらあっさりやめて、おそらくその人は次の駅で降りて行った。周りに痴漢ってばれたら恥ずかしいよね。恥ずかしい気持ちで一日を台無しにしてあげたかった。
人目をあまり気にすることもなく駅員さんに引き渡したい気持ちもあったけど、なんかあったとして男性に力で勝てるはずもないし、人違いだったら大変なのでまあいいかと諦めた。
今日の服装がワイドパンツにロングコートだったので全然可愛らしくも清楚な感じでもなく守りは強めな気がするけど、こんなんでもやられるのかと思った。もしかしたら、黒髪だし暗い色のスプリングコートだから、肩付近までしかわからない満員電車でブレザーのJKと勘違いしたのかもしれない。アラサーで残念だったな、愚かなおっさんよ。まあ、でも触ったらスカートじゃないし制服じゃないのはわかるよな、とかなんか色々思いつつ。服装に関わらずやられるときはやられるのだなぁ。
それにしても、相手に恥をかかせてスッキリしたつもりだったけど意外と一日気分がひどかったので、気を強く持ちたいなと思った。
最近の学びによる直近の指針
昔〜今の仕事や人間関係を踏まえて心に留めておこうと思ったことリスト。特に感じていること。
- 人に頼ってもいい
- そのほうが物事の進みが良いだけでなく、良い関係を築くきっかけにもなると感じた。逆に自分でもよければ頼ってくださいのスタンスもオープンにしやすい。
- お言葉に甘えてみる
- 相手のほうから快く提示してくれてるならいいと思う。相手の厚意なのに、変に遠慮して断ると失礼かなとも思う。
- 知ってることは言う
- 意外と感謝されることがあって嬉しい。生意気に思われるかな失礼かなと躊躇するのやめようと思った。
- というか、物事を円滑にしたいからこその提案なら多少生意気に思われようが言ったほうがいいと思う。
- 人を簡単に信じこまない
- 経験や育った環境によって、きっとそれぞれの正しさや価値観が作られてきている。私が自信がないからと他の人を拠り所にして信じてもそれは自分の価値観と全てがイコールということにはならなくて、どこかで不都合や違和感が生まれ、他人に振り回されるようなストレスに発展することがある。
- 尊敬できる多くの人と付き合うなかで、人をまるごと信じるのではなく、共感できる部分や身に付けたい部分だけ取り入れて行って、自分なりの価値観を育てていく。
- そうやって他人よりも自分の軸を拠り所にできる割合を増やしていく。自分を信じられるようになると他人の価値観に振り回されることもなくなっていくと思う。
- 勢いの発言はアリ
- 正しいことを言わなきゃと考え込んで発言がワンテンポ遅れがちだが、勢いで発言しちゃってもそれが意外と叩き台のニュアンスとして物事の進みを促せることもある。
- ただ、言ったあとに、言っちゃってよかったかなとソワソワすることが多い。これはただ慣れてないからというだけなのか、本当に失言なのか、の判断ができないから。人や組織などのバックグラウンドを知っていくことで判断の精度が上がるかもしれない。
- 気を遣いすぎる必要はない
- 根っこに思いやりがあるのがわかっていたり良好な関係が築けている認識があれば、多少きつい発言もわりと冷静に受け止められる。
- 攻撃のしあいではなく翻弄されなくていいという安心感がある今の環境では、わりと素直に発言してもいい気がする。
これがすべての人に当てはまるとかみんながこうしたほうがいい、ということではなく、あくまで今の自分にはこうだな、という話。環境にもよると思うので。ただ、こうやって自分で自分の行動を選んでいかないと、どんどん流されたり振り回されたりしそうなので、たまに振り返って考え直してみたい。