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ゆるめの日常

なくてはならない存在になったAppleWatchについて

AppleWatchを購入して半年ほど経った。自分なりの使い方が定着してきて、好奇心で買ったわりにはとても便利でもう手放せなくなった。

AppleWatchをつけていると、たまに「それって便利?」「役に立つの?」と聞かれることがしばしばあり、興味があったり不思議に感じる人もいるよな、と思ったので私の使い方や便利さについて書いてみる。

モデル

私が持っているのはSERIES3のGPSモデル。CELLULARにしなかったけど、特に不便していないし、これでよかった。iPhoneの近くにいることが多いし、iPhoneがなく通信できない時でもApple PayのSuicaが使えている(Suicaしか登録してないので、他のカードはわからない)。

ナイキの黒のやつ。文字盤がぱきっとしていてかわいい。ただ、通勤でスポーティな格好しないので、普段は大人しい感じのバンドに替えている。

待ち受けと、そこから使う機能など

私の今の待ち受けはこれ。地味。

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文字盤は色々と種類があって、アナログだったりデジタルだったり自分の好きな写真を設定できたりする。色の種類も豊富。私は目に入る情報量を控えめにしたいので、腕をあげた際に表示させておきたいものだけに絞っている。

これは設定で自分の好きなモジュール(表示だけでなく、タップでより詳細な情報が見れる)を組み合わせられるので、用途次第でご自由にといったかんじ。

日付&スケジュール

画面左上。日付あると普通に便利。これをタップするとGoogleカレンダーに入れている一週間分の予定を確認できる。あと簡易的だけど今月分のカレンダーも表示できる。

天気

左下のやつ。無機質な画面にちょっとかわいげが欲しかったし、文字情報より頭の負担が少ない気がするから入れておいていいかと思った。

タップで見ることができる情報が思ったより充実していて、ファーストビューでは12時間分の天気・降水確率・気温ができて、スクロールするとUV指数・風速・一週間ちょっと分の軽い情報が表示される(ただ、普段そこまで見てない)。

で、どこの天気を表示するかも複数選べるので、私は自分が住んでいる場所と、勤務地付近を設定している。

アクティビティ

下段真ん中。これは一日の運動量を図っているやつ。何分運動したか、カロリーを消費したか、座りっぱなしになっていないか、の3本のリングで構成されている。

タップすると詳しい情報が見れるけど、私はそこまであまり見ていなくて、ざっくりな可視化ができればまあいいかな程度。

充電

これはまあ…うっかり充電し損ねないように表示してる。たまにびっくりするくらい減って焦るけど、私の場合、だいたい一日一回、お風呂に入っている間だけ充電器に置くくらいで回復する。時計を毎日充電って面倒なのかな〜と思っていたけど、時計というよりスマホの簡易版みたいなものだと思えば(思いにくいが)、特に苦にはならない。

他に使う機能

待ち受け以外でももちろん大活躍しているので紹介します。

Apple Pay

これのために買った人も多いのでは。コンビニや自販機など、ちょっとした支払いに使う。財布やiPhoneを持っていなくていいのでスムーズ。財布を使う頻度が減った。

交通にはPASMOを使っているけど、残高がないときにApple Watchをピッとすればいいのでナイス!と思う。滅多にないけど。

タイマー

仮眠に便利。タイマー機能は、1分、3分、5分、10分、15分、30分、1時間、2時間、とデフォルトで組まれている中からすぐ選んで開始できる。細かく指定も可能。音を鳴らさず振動で起きることができるのでよい。

料理するときにも使える。あんまり使わないけど。

リマインダー

スーパーや薬局に行く前とか、思いついた時に買うものを登録しておく。出先で確認できるので買い忘れ防止に役立つ。iPhoneMacのリマインダーから登録してもいいし、Apple WatchからならSiriに話しかけて登録してもらうことができる。

ワークアウト

自転車に乗る時に使う。走った距離、移動経路、天候、その他いろいろな記録をとってくれる。iPhoneで履歴を見ることができて、たまに振り返るとちょっと楽しい。他にもランニング、ウォーキングなどいくつかメニューがある。

Siri

リマインダーに登録したり、天気を聞いたりする。待ち受けのアイコンから天気は見れるけど、特定の場所の気温だったり降水確率だったりピンポイントで即知りたいときはSiriのほうが楽だったり。

一度不思議な返答があって、「今日の予想最高気温はトゥエンティトゥー度、最低がじゅうよん度でしょう」と言われた。これ以来英語混じりの答え方は聞いていない。

あと、タイマーかけてもらったりする。

MacBook Proのロック解除

AppleWatchをつけているだけで、パスワードを入力したりTouch IDを使用せずスリープ状態を解除できる。Touch IDも便利なはずなんだけど、私はMBPを閉じて外部ディスプレイのみで作業していることが多いので、いちいち本体を開くのが面倒。

iPhoneを探す

待ち受け状態から2アクションで、ペアリングしているiPhoneを鳴らすことができる。iPhoneをミュートにしていても鳴ってくれて助かる。家を出る時にたまーに使う。iPhoneはだいたい布団に埋まってる。

以上、Apple Watchはいい子です

当たり前になってしまって忘れがちだけど、どれくらい依存しているか改めてわかってちょっと驚いた。なくても生きることは可能だけど、あったほうが圧倒的によい。

便利なものでも増えすぎると管理が煩雑になったり頭がごちゃっとするから無闇に増やしたくない人間なのだけど、これは毎日の生活に密接に関わって役に立ってくれて、本当にいい買い物をしたと思う。

こういうの、使う人の個性が出そうなので身近な人の色々な使い道を知りたい。

今朝の夢

高校に入学した。

昨日まで会社員をやっていたような気がするのだけど…。というか前の席の人、会社の先輩だ。

プリントが大量に配られ、国語のような授業が始まる。授業の進みが早いのか、何も理解できないまま終わった。

最後に、プリントはきちんとファイリングして、定期的に提出してもらいますからね、と言われた。やばい、授業意味わかんなくてなんも書いてなかった…。

さっそく宿題も出る。あれ、昔高校生やってた時って宿題とかあったっけ…仕事もあるのに学校の宿題もあるの…無理じゃね…?っていうか私仕事してたっけ、仕事しながら高校通うんだっけ。何がなんだかわからない。

大量のプリントに面食らう。どんだけアナログなんだよ…時代遅れかよ…と心の中で愚痴をこぼす。仕事では取り急ぎのメモ以外に紙ってほとんど使わないから、紙の整理の仕方なんて忘れたし、ものが増えるのがストレスなことをよく自覚しているので、鬱の扉の前に立たされている気分になる。

会社の先輩はいつのまにか斜め後ろの席になっていて、その後ろに座っている私の友達と仲良く話している。私の前の席は、真面目そうな女の子になった。なんかちょっと質問とか相談とかしたら怪訝な顔をされそう。

授業の際の教室移動もある。まあ学校ってそうだよなーと思う。移動先で席が近くになった女の子が、化粧品を持ち歩いていたようで、机の上に置いていた。というか、周りの女の子はだいたい机に置いている。移動のたびに、お直し用の化粧品を持ち歩くのが常識らしい。え、持ち歩かないの…?みたいな微妙な顔をされた。うわー私女子力ない部類なんか…学校の文化ほんと馴染めねーわ…と諦めのようなものを感じ始める。

先生が授業でTwitterのページをプロジェクタに映す。学校関係のようではあるけど、何のアカウントなのかわからない。アカウントの表示名に悩んでいるというので、みんなで意見を出し合う。ここで当たり前のようにノートPCが登場しており、話し合いはskypeで行われた。なぜ直接喋らないのか。よくわからない学校だ。


と、とくに締まることもなくこの辺で目が覚めた。

学校系の夢は大抵文化や人間関係に適応できず苦しむものが多く、本当に疲れるので、あまり見たくない。

夢を書くことがそのまま愚痴の吐き出しのようなものになる…のかもしれない。

なんでブログを書くのだろう

書くことに関するイベントで発表を聞いたり、ツールを作っている人の活動などを見て、人は・私はなぜブログやポエムを書くんだろう、書き続けるんだろう、という疑問がしばしば頭に浮かぶようになった。

以前、こんなことを書いた。 suito.hatenablog.com

私にとってブログは、振り返り、思考の整理、言い聞かせ、などの役割が強かったらしい。この時は(あと、自分の経験したことが誰かの役にたつかも?という考えで残していたりもして、今でもそれはある)。

でも最近は、そういう強い役割を求めなくなった面もある。

単純に、誰かに話を聞いてほしい。そんなニュアンスが増えた。

大人になると、子供の頃みたいに毎日休み時間や部活で友達と「昨日はこんなことがあった」「こんなことで悩んでる」みたいなおしゃべりをすることが減る。雑談メールとかもしなくなるし。用事以外のメール的なことを日常的にするのも苦手になったし…。

話すことって物理的には可能だけど、そういうとりとめのない話とか、わざわざ話しかけてまではもうやりにくい。今そんなことをたくさんしていたら、「えっこの人どうしたの…」みたいな雰囲気になりそう。

でもやっぱり、誰かに話を聞いてほしい、という感覚がずっと消えていないのだと思う。別にアドバイスとか直接話しかけるようなコメントとかを求めてなくて、ただ聞いてほしいのだ、たぶん。女って解決策を求めずにただ聞いてほしいだけのところあるって言うし。そんなことを延々と誰かに直接話すわけにもいかないし、それで相手を消耗させることをしたくない。だから、読む読まないの自由が選べる場所があると助かる。とても居心地が良くて楽だ。そんな場所で、ただただ何か話すように書いていたいのだと思う。

と気づいたっぽいところで、いや、あれこれ考えずとも、そもそもブログってそういうもんじゃないっけ?って思ったのだけど、そういうもんであることを忘れていた。ブログと聞くと、PVとか収益とか、バズって有名になるとか、そういう世界もあって、最近はそっちが当たり前に感じてしまっていた気がする。そういう面に引っ張られない状態での、自分にとってブログってなんなのか、というのがどこかに押しやられていた。

そういえば、ブログのテーマを公開したのも、ネーミングも、そういう、自分なりのブログの価値観や居場所となるものを守りたいからだったはずだ(忘れていたのだろうか…)。

書くことで、自分が少しでも話した気になってなんとなくスッキリしたら、それでいいんじゃないか。それが私のような内向的な人間にとって小さくても救いになるなら、きっと大事なことだし、ずっと肯定していきたい。お金にならなくても有名にならなくても、生きているだけでしんどい私たちにとって、薬のようなものだから。

この日記、これはこれで、はじめに書いた「言い聞かせ」的なやつですね。