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ゆるめの日常

油で太るのならば

私が痩せている理由は、太らないための心がけがいろいろあるからだと思うんだけど、そのなかの一つ「油を控える」は、自分が考えているよりも大きいのかもしれないと思った。

普段の食事

料理するときは、油が少なめで済むようなものを作ってる。健康のためというのももちろんあるけど、油をあまり触りたくない(手を洗う手間)のと食器の油汚れを落とすのが面倒といういつものごとくズボラな理由が大きい。

レシピに「油を敷いて肉を焼く」とあっても、他に具材をたくさん入れないときは油を使わないことが多い。ティファールなのと、肉の油で充分、くっつかないし。

あと揚げ物を作らない。揚げ物好きだけど、揚げ物を作ったり片付けたりする手間より揚げないでまあまあ楽に美味しく食べれる料理で妥協する。買って食べることも少ない。

外食では、中華とか重たい料理のお店にあまり行かないし、なるべくさっぱりしたものを選ぶ。

油の量で驚いたこと

私は揚げ物を自分で作ったことがない。昔バイトしてたときに揚げ物を扱っていたのでそれを「作った」ともいうのかもしれないけど、業務用の冷凍のものをマニュアル通りに油につっこむだけで、自分で食べるわけじゃないし、自分で揚げ物を作っているという感覚ではなかった。

最近、少し油多めのお菓子を作ってみたり、食材をちょっとパリッとさせたくて普段より油を使ったりして、「あこんなに油使うんだな…」と驚いた。私が驚きすぎなだけで、料理するうえではたぶん普通の話なのに。料理(主に片付け)が面倒という理由で、とりあえず普通に食べられる味があればいいやと簡素なものを食べがちなので、ちゃんと料理していたり外食していると毎日結構な油を摂っているのだなと。料理動画を見て、パラパラのチャーハンにもふわふわのオムライスにも、自分が思っていた以上に油が使われていることを知ったし、世の中は意外と油で溢れているのかもしれない。こうして自分の感覚が崩れていく。

私が過剰に気にして控えているだけで、そうでないほうがよくある感覚なのかもしれない。そんなにビビりながら料理・外食している人見ないし…。一人暮らしをして体重が減ったのも、食べるものを自分で選んで用意するようになったからかもしれない。実家暮らしの時から瘦せ型ではあったので母の料理を食べ続けたところで太ることもなかったと思うのだけど、それでも自分で食べるものを選ぶ分には面倒さを抜いてもなんだか油を気にしすぎな気がする。

健康でいたい

痩せすぎもよくないのでもうちょっとなんとかしたほうがいいと思うんだけど、揚げ物やラーメンを食べまくるかんじじゃなくて、健康的になんとかしたい。今日こそスーパーに行ってきます…ちゃんと野菜を買うぞ…

困ってても隠してる限り知られない

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前にもちょっと似たようなことを書いたんだけど。いろいろ振り返って昔のことを。

私は限界まで我慢してしまう性格だったようで、周りに助けを求めることができなかった。「もう無理だ」と思ったところで初めて相談したら、「全然わからなかった」といったような反応をされたことがある。元気がなかったのも、ただただやる気がなくなっているのだと思われていたり。

自分にとっては重い問題でも他人から見えなかったらそりゃ気づかれなくて当然なのに、なんでか当時の自分はそういうことを考えていなかった。人を頼ってはいけないという固定観念がずっとあったのとか、弱音を吐いた時点で評価が著しく下がり色々事が進んで最悪クビに…と大げさな恐怖心があったりもして。実際、チーム的なものがもはやなくなったような結構バラバラな環境になってしまっていたので余計に誰かに相談しにくかったというのもあるけど、直属の上司がいたときから、プライドとかかっこいいものじゃなくただの固定観念によってあまり弱みを見せないような過ごし方をしていた。

これは当時の自分が「そうするべき」と思ってそうやっていたので、いまさら後悔しようもないんだけど、今後もこんなかんじではダメだなと反省して、あまり溜め込みすぎないうちに人に話したり、困った時はその分野に長けている人に早めに相談することを心がけるようになった。仕事で頼りまくるのはやっぱり気が引けるというか場面を選ぶので、プライベートでちょっとしたことからでも意識してコミュニケーションをとるようになった。相談してみると意外と嫌がれることってなくて快く答えてもらえることが多くて、そういえば自分だって相談されたり頼られると基本的には嬉しかったよな、と思い出すようになった。

自分の周りの人間関係を振り返ると、色々とうまく物事を進めている人って、溜め込みすぎないうちに話したり相談している人のほうが多い。やっぱりそのほうが、頼ったり頼られたりでうまく補い合って進めたり、お互いの得意分野で貢献できる気持ち良さとかでより良い関係ができていっているように見える。

昔は人間関係が良好な人に嫉妬しがちだったけど、そういうのが自分には欠けていたのだと今はわかる。ただコミュニケーションをとるだけじゃなくて、悩んでいることや弱みを隠さないっていうのも、案外大事なことなんだなと。だから素直に人に頼る(悪い意味の甘えではない)ことができる人は尊敬するようになった。自分もまだうまくできてないなと感じている部分もあるけど、それでも以前苦しんでいた時期よりは変わっている実感があるので、それはよかったと思う。頼りっきりで人になにかしてもらってばかりではダメなので、自分が人に貢献できることや雰囲気も作っていかないといけないというか、義務感ではないから、していきたいと言うべきかな。

無職だった昔のはなし

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あまりにもボロボロになってから辞めると、回復のために休んでいてもそのまま落ち込みがちですよね、というかそうだった。

うつになってからじゃ復帰が大変、というのも確実にあるけど、私の場合はあまりにも世間知らずなせいもあった。前回無職だったのは5年以上前の話だけど、当時はWebにも全然詳しくなくて(直近の環境とは縁遠い、地方の地味なオペレーターだった)、SNSの活用なんてしてなかったし同じ業界の知り合いもいなかった。初めて入った会社の価値観しか知らないまま「これが社会なんだ」と思い込んでいて、会社で自信をなくしたまま、会社から解放されてもなおその価値観に縛られっぱなしで自分自身を卑下する日々になってしまった。

仕事内容は嫌ではなかったものの、怒鳴り続けたり機嫌取りをしなければならない上司にみんな疲弊していて、特に女性が次々と辞めていく入れ替わりの激しい職場だった。今思えばそれだけ入れ替わりが激しいということはあまり良くない要因があるわけで、私が自分を責める必要もないしさっさと辞めてもいいじゃんと思えるんだけど、そう思えるのはやっぱりその後いろいろ経験して外の世界を知ったことが大きい。それがなかったら今もずっと周りが怖かったり自分が大嫌いなままだったと思う。

当時の無職のあとは運良くWeb方面の仕事に関われることになって、情報収集のためにネットを活用するようになって、SNSも好きになって、知り合いもできて…そうやって外の世界を知っていったり、少しずつだけど絵やブログなど、ネットありきの趣味もできて素直に楽しめるようになってきた。特に趣味は、精神面を全て会社に依存しないためにかなり重要だったと思う。自己評価も良い意味で変わってきたし(自分で思っていたほどクズではないと思えるようになった)、自分の生き方の問題点なども把握して変えようと思えるようになったし、今回の無職は前回の無職と感覚が違う。

まあまだ転職先決めてないしあまり大きなことは言えないけど…毎日早く死にたいと思っていた昔に比べたらだいぶ変わったし、ネットがある時代に生まれて本当によかった。同年代のWeb系の人に比べたらスタートはだいぶ遅かったけど。リア充タイプでない自分に、ネットがなかったら今頃どうなっていたかと思うと結構恐ろしい。

これからはとにかく一部の文化に縛られて流されないように、自分の気持ちに蓋をしてはいけないなととても思う。昔は、力をつけるためなら徹夜でも毎日終電でもやるべき!と思っていたけど、やるべきなのかは貢献度も含めて自分の人生にプラスになったり必要なのかそうでないのかによるし、そこも踏まえた上で仕事との付き合い方を決めたい。そんなのは我儘だと言う人もいるかもしれないけど、我儘せず言いなりで生きてきた結果が昔の無職時代のような死にたい日々だったので、遠慮しすぎないほうがきっといい。