suinote

絵と写真とシンプルな生活

ていねいに暮らさない

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断捨離をして、衣食住など生活に関することに興味を持ち始めてから、「ていねいな暮らし」に憧れていた時期があった。きちんと整理整頓された生活雑貨、素敵な家具、お洒落なディスプレイ、優雅なティータイム、いいなぁ…と。思っていたけど、もうそれを目指すのはやめようと思った。

そういう空間で過ごすともちろん気分がいい。でも、身の周りのことをしっかり整えて、お洒落っぽい生活をするために、私の場合それ以上に時間もお金も精神も消費してしまうということに気づいた。

平日は仕事から帰ってきてさっとご飯を食べてお風呂に入ったら、勉強したり趣味に時間を費やしたりしたい。休日は疲れをリセットするために、ごろごろ休んだり出かけたり平日にできなかった分のアレコレをやりたい。これだけで日々いっぱいいっぱいだった。そこに満足いくレベルまで生活をていねいに整える時間がどこにあるというんだ。いや、やろうと思えば不可能ではなくて、「ていねい」をねじ込むことはできるんだけど、ねじ込むということは自然な行為ではない。どこか無理していることになる。

更に、私は極端に面倒くさがりやだ。いま時間のある無職であるにもかかわらず、色々整えない結構雑な生活をしている。時間があってもやらないということは、もう完全に性に合わないのだ。「面倒くさいしとにかく楽したい」という感覚が、「ていねいな暮らしによって得られるメリット」を超えている。

私にとってのていねいな暮らしとは、あくまで自分が心地よく過ごす(精神衛生向上のため)の手段のはずだ。それなのに、そのために合わないことをやって消耗するほうが大きいなんてどうかしている。

そもそも私が断捨離をしてから物を増やさない生活を心がけている理由の一つとして、「楽したいから」というのはかなり大きい。物を減らしてから、掃除はしやすいし整理も楽になったし(整頓はあまりしない)、この楽さがとても大事なのではないか。

と、ここまで書くとただただがさつな人間と思われるかもしれないけど、それだけじゃなくて、私は感情や思考などメンタル的にキャパシティが大きくないので、少しでも余裕が欲しいのだ。物が少なくて整える必要すらないということは、物に向けるべき意識も必要ないということであって。削れるところは削って楽をすることで、自分をそれなりに保つことができる。

もちろんていねいな暮らし自体をバカにしたり否定しているわけではない。それを純粋に好きで楽しんでやっていたり、プラスになっているならば本当にその人に合っているのだろうし、素敵だし、正直羨ましくもある。ただ、表面上の軽い憧れのような気持ちでやるには、無理が生じる。私には合わなかった。

ていねいな暮らしはできない、かといってめちゃくちゃな部屋で過ごすのも苦しくて無理な私は、少ない物で楽な暮らしをするのがきっと一番いい。そう気づいてから、そこは気を張らなくていいんだと思えて、少しだけ気持ちの余裕が生まれた気がする。